変化を嫌う鬼
こんちは、かわこうです。
今日はVoicyの尾石晴さんのお話を拝借して。
この放送では、同じくVoicyパーソナリティの澤円(さわまどか)さんの話をはるさんが話題に取り上げられてます。
変化を嫌う人の例えに澤さんは鬼滅の刃の話を持ち出されています。鬼滅の刃というのは人間vs鬼の話らしく、その鬼は変化を嫌うとのこと。
なので、現代で変化を嫌う老害的な人のことを「鬼」と例えられたとのことです。
はるさんは町内会の回覧を紙からメールにしようとしたところ、反発に合い頓挫したと。そんなはるさんのお話を澤さんが取り上げて、「変化を嫌う鬼」と例えたとのことです。
で、この「変化を嫌う鬼」というのはどういうところに生息するかと言うと、競争原理の働かないところ。
澤さんのおられたMicrosoftのような外資系では、競争原理の働く場所で、変化を嫌っていてはそこに居続けられません。
逆に、町内会とか、PTAとか、病院とか、保育園等の福祉施設なんかは、競争で人が動いているわけではないので、鬼が生息しやすいと。
変化するよりも今までの慣れたやり方で仕事をした方が良いと思われるわけです。
公務員はどうでしょう?
そうですね。基本的には鬼が生息しやすい場所です。
自治体間で人口の奪い合い(納税者の奪い合い)という競争原理は若干あるかもしれませんが、末端の職員がそれを実感しながら働くかというと、それはなかなか難しいもの。
職員間の競争と言うと、人事評価の結果が給与に反映される微々たるものや出世に影響するとか?少しはあるのかもしれませんね。
ただ、人事評価も出世の差配も基本的にはその鬼がやりますので、鬼っぽく育つ人の方がその競争には勝っていけます。
鬼ではない人が鬼っぽい方向に変化していくことによって勝ち残っていけるという意味では、確かに競争原理が働くところに変化が生まれるということなのかもしれません(分かりづらいけど、思慮深い)。
僕は去年、服装を自由化しようという提案をして、変化を起こそうとしました。
結果、最トップ層のところでイマイチ受け入れられず、少し中途半端な変化に留まりました。
僕はその最トップ層との話には加われなかったので詳細は分かりませんが、服装を自由にして何が悪いのか、ピンときません。
おそらく何となく変化を嫌う雰囲気が上の方にいけばいくほどあるんでしょうね。鬼が多いんでしょう。
鬼が多い組織で、僕は何故、あえて変化をさせようというモチベーションがあるのでしょう。
これが良いことかどうかは分かりませんので、その判断は抜きに考えてみて、より良い人生にしたいという競争原理の中で動くのかなという気がします。
組織内での人事評価や出世に関して言えば、鬼っぽくなっていくことで勝ち残れますので、逆の行動をしていると思います。
確かに、僕はそこで戦おうという感覚はほとんどないです。
上に上がれば大変そうだなと思いますし、あまり価値を見いだせません。
その代わり、人生をより良いものにしたいというモチベーションは高いと思います。うつ病で苦しんで、死にたい時期を経験したからこそ、ウェルビーイングの向上には真剣に取り組んでいるつもりです。
ウェルビーイングの向上のためには、仕事も充実させる必要があると思っているので、仕事にも一生懸命に取り組みます。働き方やライフスタイルにもこだわりたいので、どんな服で働くかにもこだわらないということができません。
これは誰と競争しているのか。過去の自分だと思います。過去メンタルに苦しむような生き方をしていた自分に勝ちたい、たぶんそんな感覚だと思います。
ちょっと澤さんのおっしゃった主旨に合うか分かりませんが僕自身のことを紐解くと、そんな感じがします。