見出し画像

記憶の連続性【捏造された記憶】

さっそくだが、私の記憶には連続性が無い。

記憶とは本来ならば過去と現在が一本道で繋がっているはずである。
だが、私の記憶は過去と現在が途切れ途切れだ。
私の最も古い捏造された記憶は小学校の低学年時代へと遡る。

私は小学校の低学年の時に、家の二階から飛び降り自殺未遂をしている。

この記憶は今でも鮮明に覚えている。
詳しい詳細は省くが、色々あって私はこの年齢の時点で自分の人生に見切りを付け「こんな人生なら今の内に死んでおいた方がマシだ」と思った。
私は泣きながら家の二階へ駆け上がり、追ってくる親を確認したのち、ベランダの窓を開け、手摺から顔を出し、地面を眺めた。
高さにしておよそ2〜3m程度であろうか?そして地面は砂であった。
それを見た私は泣きつつも、冷静にこう考えていた。

「この高さならば、恐らくは死なないだろうな。」

そして後ろを振り返る。
親は呆れ顔でこちらを見ていた。
それを見て私はこう思った。

「舐めやがってクソがよ、いいよ飛んでやるよ。」

この瞬間、私の中では「自分の身」よりも「親への嫌がらせ」と「己のプライドの保持」が優先すべき事となった。

ならば、後はさっさと実行するだけだ。
私は手摺に手を掛けよじ登り、そして乗り越え、右足は手摺の上に、左足はベランダの外へ放り出して手摺の上に座った。

ここで、ふと一瞬思った。

「…ん?頭から落ちるべきか?足から落ちるべきか?」

頭から落ちればこの高さでも死ねるのでは?いやでも流石に何の練習もせずにこの程度の高さで頭から落ちて即死するのは無理があるな…?仮に失敗した際のリスクを考えるなら今回は練習だと割り切り、大人しく足から落ちとくか…?

そして一瞬考えのち、私は足から落ちていった。
その後、どうなったかは覚えていない。

正確には覚えていないはずなのに記憶がある。

落ちてる最中は一瞬が数秒に感じられた。
迫りくる地面も鮮明に覚えている。
その後に私は気絶した。
本来ならばこの記憶はここで途切れて、その後に何処かで目覚めるはずなのだが、何故かおかしな記憶が混じっている。

まず飛んでいる最中に上の方から声が聞こえているのだ。

「あー〇〇飛んだわ」と「物凄い音したけどなんや?」と言う声だ。

これは親の声だ。
落ちてから地面に落下するまでは一瞬のはずである。
故に、こんな声が聴こえた記憶が混ざってるのはおかしいのだ。
ましてや、落ちている最中の記憶だ。
この会話の内容から察するに、これは本来であれば私が落ちた後に聴こえるはずの台詞である。

更には私は落下した後は気絶したはずなのに、落下後から意識が戻るまでの間の記憶すらも持っている。

親は落下した私を玄関に運び混んでからの、横たわる私を挟んで言い合いを始めた。

私の記憶にはそれを第三者視点で見ている物が混ざっている。

そして私は家のソファーで目覚めた。
この記憶は全てが繋がって1つのエピソードとなっており、私がソファーで目覚めた瞬間にはこの不可解な記憶は既に存在していた。

子供ながらに私は思った。
この記憶、おかしくない?と。
この事件以降、私は自分の記憶を信用しなくなった。
そしてそれ以降、私の記憶には度々不可解な物が混ざるようになった。
基本的には命の危険に晒された時の記憶に混ざっている。
記憶の中ではしっかりと繋がっているのに、いざ振り返り思い出してみると、何かがおかしいのだ。

私はこの理由について2種類の仮説を立てている。
・脳が偽の記憶を用意して自分の身を守った
・オカルト的に世界線が切り替わった

まずは1つ目の「脳が偽の記憶を用意している」だ。
耐え難い苦痛や受け入れ難い事実から自分を守る為に脳が不要な記憶を書き換えている、恐らくはこれが正しいと思う。

問題は2つ目の「オカルト的に世界線が変わった」可能性だ。
私には命の危険に晒されたり、死にたくなる程に絶望した事が何回もある。
だが、結局は今現在まで生きている。
ここで疑問が生まれる。

流石に都合が良すぎるのだ。

一度や二度ならともかく数十回だ、ゲームじゃあるまいし普通はこんなにイベントは発生しないと思う。
私は仮説としてならばオカルト的な事も含めて考える事にしているのだが、それも踏まえた上で考えると、何回も何回も死線をくぐって生きてきた私は、実際には何回も死んでいて、その度に死ななかったルートの私に意識が切り替わっただけなのではないのか?と。

ここで更なる疑問が生まれる。

記憶の連続性が途切れる前の私と、途切れた後の私は同じ存在だと言えるのか?

ただ、こうも考える。
どちらの仮説が正しいにせよ、今を生きている私にはどうでもいい。
過去の私と今の私が別人であったとしても、今を生きている私にはどうでもいい。

しかしそれはそれとして、この捏造された記憶についてを考えると結局はいつも同じ所へ辿り着く。

死んだら、どうなる?

より正確には、

私が死のうとすると、何が起こっている?

それこそ死んでみないと分からないが、仮に私が死んでも別の世界に意識が切り替わっているだけだとするならば、私が死んだ後の世界を見てみたい。

誰が悲しんで、誰が喜んで、誰が無関心なのか?
それを直に見る事が出来れば今後の人生が捗るからだ。