2023、蓋、第1章
皆さんごきげんよう、小杉です。早いもので2023年も師走に突入しましたね。ということで毎年恒例の振り返り、第1章といきましょう。
個人的に今年は、過去2年に比べてマイナスの記憶の方が残っている1年でした。うまく笑い話に昇華できるといいですね。
1月
年明けすぐに2022秋リーグの最終戦(vs横国)がありました。
成人式を避けて、1週間遅らせて開催したカードでしたが、その影響で試合日が共通テストと重なってしまい、弊チーム「アイトラ應龍」は主砲を欠くことに・・・
加えて、三田のM上君(この時点でチーム内打率、安打数3位)もまさかのコロナ感染により欠席。年末に善戦したおかげで「勝ち越せばCS」の状況だったのに、打線の飛車角を失う事態となってしまいました。
1戦目は、直近3試合で完投しているヒルタをマウンドに送りました。捕手としてリードしましたが、見事に構えたとこにしかこないでやんす。非常に楽でした(なお1振り逃げ)。抜群の安定感で4回を無失点に抑えてくれました。
しかし、うちの打線はもっと抜群の安定感を発揮しました。†怒涛の猛攻撃† でハマコーに0安打を浴びせ、驚異の4回無得点。1戦目はスコアレスドローとなってしまいました(私は最後に1本打ったから、許して💛)。
1戦目で引き分けたため、CSに行くなら2戦目は勝たなくてはいけません。ただし、2戦目の相手先発は柔キャのM田君、会場は外の高架下(砂多め)…。スタメンを絞って、冷徹に勝ちに行っても厳しいなと思ってしまいました。
なら、ブレずに方針を貫こうと。應龍の方針はあくまで「後輩の機会確保」だったため、アイトラ勢を含めた7人全員をスタメンにしたうえで、当初の予定通り原川をマウンドに送りました。
※ちなみに、ここまでの試合はすべて得点力担保のためにスタメンを6人にしていました。が、最後くらい思い出作りが必要かな…と思って7人にしました。こういう采配しちゃうんだよねぇ。
結果としては、6-3敗戦でリーグ終了となりました。入る日だった原川が打たれ、美馬くんも打たれ、後続の残念な投手も打たれ、まあしっかり負けましたね。南無三。
秋リーグでここまでパーフェクトリリーフを続けていた私にとって、この日の投球内容はかなりショックでした。後輩を下ろして自分が投げて負ける_______これより恥ずかしいことはありません。そんな気持ちでした。
初の「代表」として臨んだリーグ戦、総じて苦しかったですが、かなり貴重な経験をさせてもらいました。
個人成績では、打率.269(26-7)でキャリアハイを更新しました。リーグでは2割を超えたこともなかったため、もうこんなに打てることはないやろなあ…と思っていましたね、この頃は。
また、約1年経ってから振り返ってみると、このとき應龍で投げまくった2人のその後の活躍は言うまでもありません。現在の三田の根幹を形作ったといってもいいシーズンでした。
ちなみに、應龍が行けなかったCSには片割れの慶雲が出場しましたが、肝心の記憶があまり残っていません。せっかく就活をほったらかして観戦しにいったのに…。
余談ですが、1月末に冬季選考の面接があったのを書いていて思い出しました。結果は…まあはい。試験期間に面接ねじ込まんといてくれ!!!!!!!
2月
2月は横国杯がありました。
私は三田で出るのかな~と思っていましたが、03の後輩たちは社適とかいうチームに吸収されてしまったため、いかつい人達とチームを組むことにしました。
動画が残っていないため振り返りが難しいですが、私以外が活躍して無事優勝!!!!!いやあ優勝は気持ちいいな!!!!!(涙目)特に印象的なのは、ウホウホ2BHマンになっていたうちの元部長ですかね。無理ゲー投手からも打っててすげえなとなりました。
横国杯のわずか4日後には六大学蓋野球がありました。ほんと、大会好きだよねえこの競技…(疲労未回復人並感)。
こちらも動画が少ないため振り返りが難しいですが、珍しく好守備したのは覚えています。ファールフライをなぜかキャッチできました。
他はあまり覚えてないですが、加藤からフラフラのポテンヒットを打ったことと、早慶戦(=最下位決定戦)をやったのは記憶にあります。慶早戦とか言ってるやつは義塾の犬や! 書いているうちにもう1つ思い出したことは、正捕手を欠いた東大が優勝したことですかね。まーしーの快刀乱麻の活躍が印象的でした。
2月の感想:いや~やっぱ世代戦ニキはつえ~な~笑笑 ん?
3月
正直、ここを書き始めたくありません。精神がおかしくなりそうです。
さかのぼること1週間前、2月末に第4回東西統一蓋祭のリーグ抽選会がありました。
一応状況を説明しておくと、
・第4回東西は予選リーグ→サドンデス→決勝トーナメントの3段階を戦う必要アリ。
・サドンデスでは、5リーグの上位2チーム(計10チーム)から6チームを選出する。1死満塁から、1イニング限りの勝負を3セット。
・サドンデスの順位によって決勝トーナメントの位置が決まる。
で、我らDリーグの顔ぶれはこうだと。
①城東
慶雲がリーグで唯一2敗
②世田谷A
CSで苦汁を飲まされたばかり
③横国初代
1年前、宏紀さんに被弾しコールド負け
④三田
いまだに考えただけで寒気がします。
さて、決まってしまったものは仕方ないということで、大会当日までの2週間は、それなりの量のデータを頭に叩き込んで相手チームの対策をすることにしました。
まず、城東に予選で負けるのは仕方ないと。当時の城東投手陣は人数が多すぎて絞れなかったし、そもそも3イニングで点を取るのがキツすぎるため、良くて引き分けだろうなと思いました。
であれば、世田谷Aと横国初代。この2つには勝たないと得失点差にもつれ込んで運任せになってしまうことから、五島小杉の両名でこの2チームの選手分析を急ぎました。
で、分析を重ねた結果が…
ということで、投球ブランクニキこと私が、運命を決める世田谷戦に登板しちゃいました💛 なんで?
で、まさかの3回無安打投球。なんで?
負けたら実質終戦の緊張感で何かがおかしくなってしまったらしく、最後の方は狙い通りのところに、狙い通りの軌道でしか蓋がいかない無双ゾーンに突入していました。もう二度とないでしょうね😢
気になる試合の結果は、なんと引き分け。お互いノーヒットの渋すぎる開幕戦でした。ところで、世田谷さんはベンチにちはやの遺影()を置くの辞めてもらえませんかね、腹筋吊りそうでしたが。
結局、得失点差でわずかに世田谷Aを上回った三田はサドンデスに出場できました。ただ進出が決まったであろう瞬間、私は別試合の審判をしており、正直なところ気が気じゃありませんでした。後から知らせを聞いたときは、人目をはばからず号泣しました(マジで)。蓋で初めて泣いた瞬間でしたかね。
その後は、あれよあれよという間にサドンデス突破(松本五島バッテリーえらすぎ)、準々決勝、準決勝と進み、私が前日とは別人のように「ばち☆どちゃ」にボコされて終焉しました。三田はベスト4ということになります。私は冒頭の世田谷戦以外は、完全にお荷物でしたね(-_-;)
…思えばこのあたりから精神的な危うさは露見していました。おかしいな、このときまで試合中に負の感情があらわになるなんて、滅多になかったのに…。チームメイトには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
総評としては、予選はよく戦ったと思います。どこにどの投手をぶつけるか、打順をどうするか、かなり練っていった結果、厳しい戦いを突破できたのかなと。もちろん運もありますがね。
一方で、決勝ラウンドは悔いの残る結果となりました。チームとしても個人としても、もっとマシなプレーができたような気がしています。
世代戦?楽しく焼肉に行きました。以上!
というか、そもそも今年は選ばれると思っていなかった上、直前2日間で疲れ切っていたため、「世代戦なんだ」という覚悟がないままフワフワ会場まで向かってしまいました。他にも割とフワフワな人が多かった印象です(2人ほど過労で来てないし)。
選手としての頂点と底をいっぺんに味わった、奇妙な3日間でした。
来年は学生最後の東西ですから、めいっぱい楽しくやれるよう努めます。勝ち負け以上に、楽しい記憶のまま終えたいですからね。提供平静大学に通おうかな。
余談
ちなみに、私は東予選の数日前には関西にいたため、関西予選も観戦しに行きました。そのとき写真を何枚か撮ったのですが、すっかり共有を忘れて現在に至りました。各位申し訳ありません😅
余談2
ヘッダーにもしましたが、東西&世代戦のすぐ後にキャップ野球TVの撮影会がありました。早朝から数名を引き連れて栃木へ…
ご協力に感謝します。先日登録者1万人を越えたTV、ぜひ今後も頑張ってほしいものですね(すっとぼけ)。
第2章へつづく…