推しのプライベートに遭遇してしまった。自分がいま目にしているのは地獄か、それとも…②
前回のお話の続きです。
ーーーーーーーーーーーーーーー
いつの間にか、自分のなかで都合よく「理想の推し」を作り上げ、現実から逃げていた私を救ってくれたとでも言わんばかりに一方通行な扱いをした。推しが一人の人間であるという事も忘れ、言うならば推しのせいにして自分の人生から逃げていた。自分は最低なファンであったと、遭遇したあの日から感じるようになった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
上記の文は、前回の記事の最後の部分を載せたものである。
そう、いつしか自分にとって推しとは、希望を与えてくれる人ではなく、自分で都合の良い解釈をし、その理想の姿ままでいてほしい対象の人となっていた。
吐き気が、する。
遭遇した時に見た推しの影に隠れていた女性。あれが、彼女なのか、知り合いなのか、マネージャーなのか、真実はファンである自分には分からない。いや、分からなくてもいい真実なのである。
推しである前に、ひとりの人間として推しを見てみる。幸せなら、それで良いと思いたいよ。
推し=自分の全てに幸せを与えてくれる
こう思うのは辞めた。
自分の主観なので気にしないでいただきたい。
正直、幸せを与えてくれる存在だと思って推し事をしている方が良いし、それが普通である。だって事実だから。でもそれは、自分の推し事の範囲の中だけ。自分のプライベートな部分にまで、推しを持ち出す事はもうしない。
推しのプライベートに出くわしてしまった事も、もはや事故だ。
自分は、推しに対して我が儘すぎた。だから、こうしてプライベートに遭遇した時に、一方的にフラれたといわんばかりのキモい感情が湧き出てしまい、自分で自分の首を締めた。
こんな幼稚なファンだった私を、どうか許してください。
死んで、そして生まれ変わりたいな。
今後の推し方について
でもやっぱり、何があっても、好きなんだ。
今後は、無理せず推していこうと思う。このスタンスは以前とはあまり変わらない。
推しも、何も変わっていない。何かをしでかした訳じゃない。だから、何も変わっていないから、変わらず推し続けます。
舞台の上に立っている推しが好きだ。
仕事を楽しんでいる推しが好きだ。
いつもファンを想ってくれる推しが好きだ。
見た目はカッコイイくせに中身は可愛い推しが好きだ。
無邪気な笑顔を惜しみなく見せてくれる推しが好きだ。
優しい表情を浮かべながらも、少し哀愁漂う表情もできる推しが好きだ。
緊張している推しが好きだ。
うまく喋れなくて…と嘆いていた推しも好きだ。
周りの人達から愛されている推しが好きだ。
ああ、これからもずっと、好きだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
様々なご意見、感想があるかと思いますが、まずは、ごめんなさい。
主観をバーッと書いただけの、自分勝手な文章でごめんなさい。
2021年は、推しがいる全ての人が、全力で推せる年になりますように…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?