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自由なまま綴る自己紹介①




自分は中身が空っぽな人間だったと気づいたのは、上京した20代前半の頃。一度は実家を出た方が良いと思って…とあの時言った台詞は、事実でもあり建前でもあり、実は何かから逃げたかっただけなのだろうと今では思う。



夢もなく希望もなく、ただ何かから逃げたかった。その何かが自分自身だったと気づく頃には、もう周りは次のステージへと歩き出していた。





▼ 昔の自分




中学時代は真面目な方だった。


自慢できる事は3年間オール無欠席。だが、それだけだ。別にすごい事ではないと思うし、やろうと思えばできる事だ。


真面目という言葉は良い風に聞こえるが、実際はこれといった取り柄がない不器用な人間を表す言葉なのかもしれない。




軟式テニス部に所属していた私は、中学最後の引退試合でダブルス2回戦負けという微妙な結果を残し、夏を終えた。


覚えている事は、悔しくなかったという事。ただ日々が過ぎ去る流れに身を任せていただけの自分には、負けて悔しいといった感情が芽生えなかった。当然だろう。



そして、試合後に改めて顧問に「負けました」の報告をしに行ったのだが、その時に言われた言葉が今でも頭から離れずにいる。




「お前、ミスした時に笑ってたな」




最後の試合で言われた言葉がこれだ。3年間自分は、この部活を通して何を学んだのだろうか。果たして成長できた部分があるのだろうか。



顧問が自分に言った言葉が心に刺さったまま、残酷にも今でもふと思い出す言葉となった。



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高校時代から、私は自由になっていった。


バンドの音楽にハマり、ライブに行く事が好きになった。


周りも恋愛してるから私も男性と付き合わなきゃ変かな…と思い特に好きでもなかった先輩と付き合った。




専門学校から、更に自由になった。



家から電車で40分の最寄駅に到着すると、気分が乗らない時はそのままスタバへと逃げ込み本を読み過ごした。



どうしても行きたかったライブへ行く為、終業式を含めた4日間を無断欠席した。担任から電話がかかってきた時は、学校から1000キロ以上離れた場所にいた。欠席した理由を聞かれた私は「風邪です」と元気に言い放った。





そして、自由人がそのまま社会人になった。





地元のスーパーの社員としてとりあえず3年間働いた。入社した理由は、スーパーが好きだったから。昔から、母親に連れられスーパーへ行く度に妙にウキウキしていた子どもだった。


希望休も取れるシフト制な職場で、ライブにも問題なく行く事ができていた。




そして、3年働いた後に上京した。


自分と真正面から向き合う事を避け 自由に生きてきた自分が、上京を通じて「自由とは残酷だ」と気づいていくお話。

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ここまで読んでいただいた皆様、ありがとございました。

自分はnoteを通じて何を伝えていきたいのか、何を残していきたいのか、そういった具体的な事はあまり考えていません。

読んでくださった通りの自由人ですので(今でもそうなんかい)その時の自分が思った事を書いていきたいなと思っています。



では、また次回の記事で。

#自己紹介
#note初心者
#自由人

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