お札のデザインなんて、なんでもいい
2024年7月3日に「新札発行」が開始された。
それに伴い私が心から愛していた福沢諭吉は、ただのオッサンになってしまった。
これからは渋沢栄一が私の心から愛するオッサンになるのだ。
歴史が好きな人、そもそも福沢諭吉が好きな人がこの記事を呼んだ場合、叱責を受けるかもしれない。しかし、本当に申し訳ないが、正直私の福沢諭吉への愛はその程度なのである。
ぶっちゃけ、お札のデザインなんて、なんでもいい。もっと言えば、誰の顔がお札に書かれているかなんてもっとどうでもいい。
「新札発行」にまつわるニュースが数多く報道されている中、ふと高校の記憶が蘇った。その名も、天下統一紙幣掲載理論である。今回はそれについて書いていきたい。
ある友達曰く、天下を統一するとお札に顔が載るらしい。
前置きとして、私が通っていた高校は偏差値が40に満たない世間でいう「バカ高」であった。英語のテストはアルファベットの書き取りから始まるし、数学は割り算からのスタート。1年生の夏休みに多くの生徒が喫煙や飲酒で問題を起こし、卒業までには約2クラス分の在籍人数が減る。
「動物園じゃん!」と進学高に通う友人にバカにされたこともあるが、大変遺憾である。動物に失礼すぎる。
高校2年生の社会の授業中に、
「1万円札に誰が描かれてるか、わかるか?」
と先生が尋ねた。先生としては、サッと回答をもらい、授業を円滑に進めるだけのアイスブレイクにしかすぎなかったこの質問が物議を醸した。
先生、ここは動物園ですよ。
真っ先に回答したのは隣の席の友達だった。
友達1「わかるよ!織田信長でしょ!天下統一したからね!」
あっけに取られる先生を差し置いて、会話は続いていく。
友人2「ちげーよ!あいつ燃やされてるから!明智だよ明智!知らないの?」
友達1「あー確かに!じゃあ明智だ!」
友達3「明智って天下統一したっけ?」
友達1.2「あーそれなー」
言いたいことはたくさんあったが、私は殺虫剤を噴射されたゴキブリのように笑いでのたうち回ることしかできなかった。
織田信長をあいつ呼びなのか?友達1はなぜそんなにも素直なのか?天下を統一するとお札に載ることになぜ誰も疑いを持たないのか?
このあと先生から正しい訂正が入ったが、もうその頃には友人たちの意識は自分の爪のピカピカさ、窓の外で運動している好きな男の子、眠気に支配されていた。
あの時のこと、覚えてる?
私は、自分の中で衝撃的だったことや特定の相手との記憶に限り記憶力がいい。むしろ、良すぎて一言一句、相手の表情まで覚えている。
(いいことばかり覚えているわけではないのが辛いところ)
天下統一紙幣掲載論議を繰り広げた友人1.2とはいまだに連絡を取ったり、年に1度くらい会う機会がある。
2023年の終わり頃、会う機会ができたので当時のことを聞いてみた。
回答はある程度予想がついていたが、まったく覚えていない!とのことだった。
しかし、天下統一紙幣掲載理論むかしばなしは大いに盛り上がった。
友達1は、現在保育に関わる仕事をしている。クラスの問題児の担当(SPに近い)を任せられ、日々の恐怖体験を報告をしてくれる。
「ここに手を置いて!って言われたから置いたのね!そしたら、全力で足で踏み潰されそうになったの!」
「毎日出勤のたびに死を覚悟している」
友人2は、歯科衛生士としてバリバリ働いている。
コミュニケーション能力お化けなので、患者さんに大評判のようだ。また、昨年まで揉めていた問題が解決に向かっていたため、「殺す!」など物騒なことは言わなくなっていた。
ただ、2人とも自分の収入よりも支出が多いことを誇らしげに語っていたので、そこは心配である。
途中から口座の残高を披露し
「ホラ!みて!やばいでしょ!だから安心してね(?)」
「みて!これ私の引き落とし額!手取りはこれ!足りないでしょ!?」
奇想天外さは変わらずだったが、当時の1万円札に福沢諭吉が載っていることは認識していた。
面白ければ、いいじゃない。
高校生当時、福沢諭吉が1万円札に描かれていることを知らなかった私たちは無知であり動物園と言われても仕方がない。
しかし、過去に天下統一弊社掲載理論という大変おもしろい思い出がある。
きっと、今年も来年も何度でもそれで笑っていける。
犯罪でもなければ、誰を傷つけるわけでもない、生きていく中でさほど支障のない(ここは異論は認める)私たちだけの、大切な思い出がある。それでずっと笑っていける。
新札が発行されたことで
「前の方がよかった」と文句が出たり
「新札発行に経費をかけるなんて」と怒ったり
「政府の陰謀論だ!」と疑ったり
様々な意見があるのは重々承知しているし
それは確かに必要な意見、議題である。
しかし、私にとってはどうしようもない、止められないことに文句を言ったり怒ったり、疑うことはものすごくストレス値を高めてしまう。
動物園でも無知でも、私は楽しければいいのだ。
今日もたくさん笑えて、眠りにつければそれでいいのだ。
数えきれないほどの面白いエピソードを持つ友人を持ったことに感謝したところで、今日はここまで。
新札に誰が描かれているか、お札のデザインなんてどうでもいい。おもしろければ、いいじゃない。