今週のつれづれ。(1/24-28)
月曜日。
今日は、自分の研究テーマについての疑問を、長老的な存在の人に相談した。とても理解が深まった。土日に文献を読み、気になることをまとめておいたから、満足に質問できた。こういう感じで色んな人に考えを伝えて、前向きにディスカッションしていきたい。寡黙で気難しそうに見えるかもしれないけど、本当は話すの好きなんだよ、わたし。
昨日一昨日の休みをめいっぱい休めたから気力が回復している。パートナーに、「あなたはぼんやり過ごす時間が少ない。だからパンクする。」と言われた。たしかに、この土日は珍しくぼんやり過ごした。ぼーっとする余白みたいなのが、思考を深めてくれるのかもしれない。
進撃の巨人を観た。クライマックスの凄みに圧倒された。何度も何度も予測を裏切られて展開がよくわからなくなっても、絶望感だけはたしかにそこにあって。
そういえば、反出生主義についての本がちょっと前から気になっていたから、読んでみたいとおもう。わたしは、生き物が好きで学んできてそして仕事にしているから、反出生主義はあまり理解できない。だからこそ、一度考えてみたい。
火曜日。
一日中、会議だった。じわっとした疲労。作業をたくさんするとさわやかな疲労が残るけど、動かないとじわっとした疲労になる。
夕飯にわかめと豆腐の味噌汁と、サーモンのムニエル、ほうれん草の胡麻和え、トマトを食べた。こういうバランスの良い食事をすると、丸ごと染み渡る感じがある。血肉に変わっていくんだろうなという安心感がある。
パートナーと少しギスギスした。しょんぼりしている時に、しっかり話を聞いてあげようとしすぎると、なんだかおかしなことになる。大学時代になんでも分析したがる友人がいて、しんどくて一緒にいられなくなったことを思い出した。自分も知らず知らずのうちに彼女みたいになっているのかしらと思うと怖くなった。あの時の彼女も、パートナーと向き合っている時のわたしみたいな気持ちだったのかなあ。自分の中には、いつもたくさんの他人がいる。どんなに苦手でも一緒にいられなくても、深層心理を表す有名な氷山の絵みたいに根っこの部分ではつながっているのかしら。不思議な気持ちになる。
アニメを見た。鬼滅を1つと呪術廻戦を2つ。呪術廻戦の方は、少し胸糞悪くなった。かわいそうとか胸糞悪い感じの話は、なんだか心が晴れない感じになる。わたしは、出来るだけ夜はさわやかに眠りにつくようにしている。だからなんとか気分を切り替えた。
水曜日。
会社の会議の後、気になったことを他部署の先輩に聞きに行った。そしたら、意見を聞かれて、来年のアクションも決まった。今週は、人と関わるの上手いな私。自分で自分を褒めていく。人と関わるのが好きだけど疲れやすいタイプだ。だから、動ける時にしっかり動いておこうという気持ちがある。
今日の晩御飯は、天津飯にほうれん草の胡麻和え、味噌汁。ほうれん草の胡麻和えがめちゃくちゃ好き。美味しいし、栄養を取れているという確信からくる満足感。やっぱり胃袋もだけど、栄養を取らなきゃと考えてしまう自分の頭も満たしてあげた方がいいみたい。人間ってめんどくさい。
新しく買ったMacBookのセットアップをした。新しいものはワクワクする。今まで、2013年のMacBookを使用していたので、一気に新しくなった。まず、キーボードの軽さに驚く。まるで羽が生えているかのようである。大学生の頃、「キーボードを打つ音が躍動感あって楽しそう」と同級生の男の子に褒められたことがある。その時の気持ちは覚えてないけど、折に触れて思い出すってことはきっと嬉しかったんだろうな。次に驚いたのは、スピーカーの良さ。何気なくYouTubeを見始めて、びっくりした。ここは映画館か。ちゃんとLとRがあって、立体的に聞こえる。「イヤホンで聴いたらLとRで鳴ってる音は違う。片方ずつで聴いたらそれはもう別の曲なんだよ。」花束みたいな恋をしたの冒頭を思い出す。恋愛は一人に一つ。客観的に考えると絶対にそうなのに、恋をしている渦中にはわからなくなる。本当に好きな映画だ。 そういえばMacBookの話してた。こうやっていろんなことを数珠繋ぎに思い出しては、紡いでいる時間が好きだ。
木曜日。
鱈の入ったキムチ鍋を食べた。魚の旨味が滲み出た辛いつゆが冷えた体にしみた。コロナでまた出掛けられなくなったけど、なんだかんだで楽しい冬籠生活ができているかもしれない。こうやって滋味深い食事を作り、自分で自分を温める術を知っているのは、私が大切にfeedされてきたからだと思う。feedという言葉のニュアンスでしか伝わらない。日本語でいうと「養う」なんだろうけど、なんか違う。こういう言葉のニュアンスに厳しくなってしまう。
今日は初めてPCでnoteの記事を書いてみる。スマホのアプリ版とは表示が違う。表示が違うだけで向き合う時の心持ちも違うから不思議だ。ノートもそう。方眼か、罫線か、無地かでノートの取り方全然変わる。人の視認性と作業性に関しては大きな興味がある。どんなアプリでも、フロントエンジニアの方々がいろいろ考えて作ってくださっているのだろうと思うと、すごいな、ありがたいなと思う。
「会社で意思決定するときはどんな小さいことであれ絶対に会議が発生している」というのは、この春会社に入ってから感じたことだ。日常で触れるもののほとんどは、たくさんの人たちが全部会議をして決めているんだという事実に思いを馳せると、なんだか途方もない人間の営みを思って肌がふっと泡立つような気がする。人間って不思議。でも、身の回りのもので自分で作ったものなんてほとんどなく、資本主義の恩恵を受けてるから当たり前なんだよなあと思うと、なんともいえない気持ちになる。
またYouTubeをみる。フッと見たYouTubeって何だか運命を感じることが多い。インスピレーションにつながることもあるし、よく見てしまうものは自分の求めているものを表しているし。「あ、いま自分の欲望と目があったな。」そんな感覚がある時もある。(大体がぼーっと何も考えてないけどね)自分の中の欲望は姿形を変えて何度でも目の前に現れる。
金曜日。
晩御飯はツナとキャベツの和風パスタを食べた。レンジでチンするだけでできるのに、熱々ですごく美味しい。母がくれたちょっと上等なツナ缶を使って作ったからかもしれない。母は贈り物上手だ。上等なツナ缶なんて、普段は絶対に買わない。自分では手に取らないようなものを試して、普段のよりも絶対に違うものだと感じると人は感動するのだな、と思った。これからの贈り物のアイデアにしよう。
昼間は先輩の送別をした。寂しいというか、なんだか不思議な気持ちだ。まだ会社のことがわかってないから、次の道に進みたいという気持ちをよくは理解できない。自分のやりたいことができない状態に、わたしはまだなったことがない。この先、先輩と同じことで悩むのかどうかもわからない。なんだか不思議な気持ちで見送った。チームとしての仕事量が確かに多いのだけど、わたしに求められていることはこれまでのやり方に縛られない革新だと認識しているから、わたしが動くと周りのみんなの仕事を増やす方向になってしまう。それが心苦しい。でも、わたしがやり方を変えることで画期的にみんなの仕事が楽になる、そんな仕事ができたらいいなと思って、今は甘えさせてもらっている。
チームのこと、仕事のこと、色々考えてしんみりしてしまった。だけどパートナーといつものようにビデオ通話したらとても元気になった。一度纏ってしまうと自分ではなかなか変えられない空気を変えてくれる彼のことが本当に好きだ。彼と接していると、取り繕わない自分が、そのままで元気になっていく。
今週も一週間お疲れ様でした。良い夢を。