6/10の #ぬえなぞといつかの記憶
今日のぬえなぞについて思う所があったので。
今日の謎はリアル脱出ゲームTVや密室美少女など数年前の謎解きに寄せた出題だった。フォントも密室美少女で使われていた物っぽい(後で気付いた)。
一応今の時世に合わせて下のアルファベットに1や9を書いた。別解つぶしの目的もあるがここを除くと無理なのかなと思ったからだ。但し上の文に関しては完全にノーヒントなので、「解けたらすごい!」という感じの問題である。
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これから書くのは僕が「謎解き」という物を知って「これ面白いな」と思った理由にも関わることだが、僕が謎解きを"本格的に"知った理由はおそらくリアル脱出ゲームTVだった…と思う。(謎解きの存在自体はソモサンセッパなどの番組、パズル含めればファイブレインとか。Twitterを始めた理由は一枚クイズ。)
当時僕が感じた謎解きの魅力、それは「解けない」ことだったかもしれない。
例えばこの謎を見てほしい。
※当時より解く事は難しいですが画像だけで解くことは可能です。
https://www.tbs.co.jp/realdgameTV/answer/answer07.html
この問題では『図形が頂点の数字と対応していると気づき』『.があることからIPアドレスと気づき』『Amazonを並び替える』という閃きが必要で、これがひっじょーに難しい。多分今解いても難しい。
導線はとても薄いし、IPアドレスなんて当時は知らない。ワラワラワラなんて放送当時気付くこともない。「こんなの僕には解けないよ」と思いつつ放送を見ていた。
ただ、それでも当時は楽しかったような気がする。
何でだろ。
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少し考えて気づいた。
当時は「解けなくてもいい」って考えていた。気がする。
難問に挑戦し、正解する人がいる。
勿論「正解したい」という気持ちはあったが「正解できないのは当然で、正解できる人がかっこいい」と思っていた。
東狼の問題が出た。
解けない。
解説を見る。
なるほど、僕には無理だった。
こんな問題も解ける人がいるのか。
正解者発表を見る。
正解者は23人。
すごい。いつかは答えられるのかな。
これの繰り返しだった。たまに解ける問題があったり、東狼だと1回だけ1位になったりした。その時はめっちゃ嬉しかった。
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それから幾年か経った。
今夜はナゾトレという番組で謎解きが大体毎週出題され、毎日謎を出す人々も何人かいて、LINEを使った謎解きもたくさんあるような時代になった。
いつしか色んな謎が解けるようになった。
五十音表も飽きるほど見たし矢印は法則謎とか和同開珎とかいろいろな所で見た。
そしてそれと同じ時間で色んな謎が作れるようになった。
五十音表も腐るほど使ったし矢印は法則謎とか和同開珎とかいろいろな所で使った。「みぎ」と打つと真っ先に「→」が出る人になった。
あと使って腐った五十音表の図を手軽に作れるくらいにはなった。一生使わないスキルだと思う。
当然、見たことのあるギミックの謎も増えた。
ただ、そのうえで「解ける方が普通」と思うようになってしまった。
今現在世の中に出ている謎の多くは「小学生でも解ける」謎、「誰でも解ける」謎である。そう、誰でもである。
勿論解けないより解ける方がいいし、今の流れを否定するなどすることではない。だが「誰でも解ける」という言葉を僕は「解ける方が当然」と感じ取ってしまった。世の中に絶えず出題される"カンタン"な謎が解けたり解けなかったりして、解けて「やった!」と思うことが少なくなった。
「解ける」ことと引き換えに「喜び」が無くなった。
そう思った。
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今出題されている謎は「誰でも解ける」。そして「誰でも解ける」ので解説なんてどこにも書いていない。正解者も高々1位~5位しか発表しない。解説を見て、正解者を見て、「みんなすごい!」という機会などとっくに無くなってしまった。
目指していた「かっこいい人」は、概念もろとも消えてしまった。
解ける喜びを失い、戻れなくなってしまったので僕は何も考えずにそこにある謎を"読む"だけの人になった。
趣味を作り忘れたので謎解きの辞め時も失ってしまった。
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今日の謎、まだできていないな。どうしよう。