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オブスキュアにはオブスキュアのワケがある、のか

オブスキュアという言葉があって、意味としては「はっきりしない」「ぼんやりした」「不明瞭な」「あいまいな」みたいなことかと思うが、これが音楽では「あまり知られていない」「日の目を見なかった」「無名な」みたいなニュアンスで使われることが多い。ちなみにブライアン・イーノが設立した「オブスキュア・レコード」は、前者のニュアンスだろう。

近年、レコード屋でも書籍でも頻発されて、よく見かけるオブスキュアの文言。個人的な判断だと「レア」という言葉とニアリーイコールくらいの感覚で受け取っている。当然知らないアーティストや作品ばかりなので、特にシティポップやアンビエント、海外では埋もれたシンガーソングライターやフォークシンガーなど、興味を持って色々聴く。

最初は「こんなにいい作品なのに、なぜ日の目を見なかったんだろう」と興奮するのだが、その気持ちが持続しない。いつの間にか棚の奥に仕舞われ、手放してしまうの繰り返し。もちろん愛聴盤になり、保持する作品もあるが割合的にはごく僅か。その確率は低い。

そういったオブスキュアな作品に対して、「稀少」「幻の」といったバイアスがかかっていることは否めない。だから、最初は多少下駄を履かされた状態で聴いていて、そのバイアスが次第に薄れていき、希少性に酔っていた自分に冷める。いい加減な耳であり、いい加減な人間である。

もう少し若いときはそういう自分を隠していた。希少性のある音楽や難解な音楽に対して「自分は理解している」と暗示をかけていた。でも、身体は正直なもので、所有はしているけれど手が伸びず、ライブラリーの箔を付けるためだけに存在する作品と化す。

あるときからそういったものを躊躇なく手放すようになった。聴かないものは一旦手放す。また興味を持ったら手に入れればいい。実際に何年後かに再び手に入れて愛聴盤になった作品も多い。

あらゆる音盤を等価に扱う感覚はとても大切だが、作品毎に事情は違うにしろ、オブスキュアなものに関しては、オブスキュアな存在になった理由はあると思っている。逆に連綿と聴き継がれる、名作と呼ばれる作品にもその理由はある。そこに、聴いたことのない音楽を聴きたい、まだ知らないアーティストと出会いたいという欲求と、快感原則に正直にいること=保守的な聴取行動のせめぎ合いが加わって、自分の音楽ライブラリーは常に蠢いていく。

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