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PARCOの細野晴臣曼荼羅を眺めて55年の歳月を想う

以前、音楽好きの諸先輩方との飲み会で「君は細野晴臣信者という認識」と多くの人から言われてびっくりした。その席には、以前じっくり話し込んだ人もいれば、SNSや自分が書いた文章を目にしている程度の人もいたが、みんな一様にそう言ったのは意外だった。そういう風に見られているのか。

はっぴいえんどは無論、YMOにすら一歩届かなかった世代。10歳年上の従姉妹がエレクトーンで弾く「ライディーン」が幼心に染みついて、ずいぶん遅れてYMOが好きになり、先祖帰りではっぴいえんど『風待ろまん』を聴いて、「ロックじゃなくてフォークじゃん」としばらく放置した過去がある。

多少の年月を経て、はっぴいえんどもソロ活動もYMOもHISもスケッチ・ショウも、細野晴臣の軌跡はどんな活動も面白いと思えるようになった。大滝詠一が言っていたように、あらゆる角度から見ても、世界的に見ても、細野晴臣は最上位のアーティストだと今でも思う。

2005年「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」初回の、奇跡的に豪雨が止んだ細野晴臣のステージには心底感動したし、その後のライブにも足繁く通った。そして、YMOの緩やかな復活やサントラ仕事などあったにしろ、今でも『HOSONO HOUSE』再評価モードの延長線に細野晴臣はいる。

正直に言えば、僕はその流れに飽きてしまった。カバーアルバムも含め、まだ『HOSONO HOUSE』を擦るのかと、少し離れたところから55周年を見つめている。とても信者とは言えない。

そして、PARCOの細野晴臣曼荼羅。近年の過剰な神格化には抵抗があるし、今回のヴィジュアルもご本尊みたいに飾られている。そのショーウィンドウを仰ぎ見て、不謹慎にも「遺影かよ」とすら思ったが、飽き性の細野晴臣55年の変遷を、田名網敬一の混沌に落とし込んだ宇川直宏のディレクションは、今一度、細野晴臣を下界へ召喚しているようにも感じた。

余談だが、日笠雅水さんが紹介していた、ヴィジュアルの前を通りかかった母娘が「ママ、この人誰?」「PARCOの社長じゃないの?」と会話していたというエピソード。最高だな。


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