充電になりかけた話 てらっち
前の学校に勤務していたとき、授業が終わって
職員室に戻ると1人の先生が血相を変えて僕の
ところにやって来た。
「聞きたいことがあります」
彼はそう言った。
「女子生徒に本を貸したみたいですね。どういうことか説明をしてください。何故生徒に本を貸すんですか?」
「授業に使った本で生徒が貸してほしいと言ってきたので貸しました」
「何で自分で購入するように指導しないんですか?」
「複数の本屋さんを回ったけど、品切れで手に入らなかったようです」
「Amazonとかのネットで買うって選択肢もありますよね?」
「ネットでも検索したけど、どこも欠品か売り切れだったようです」
「何故我慢するように指導しないんですか?」
「何について我慢させるんですか?」
「購入できない状態をです」
「生徒は欠品が解除されたらその本を購入するけど、早く読みたいから貸してもらえませんか?と頼んできたんです。購入しないためではないと思いますよ」
「ああ言えばこう言いますね。本当に。そもそもその子は女子生徒ですよね。これが公になれば大問題ですよ」
「その女子生徒の前に男子生徒2人にも同じ本を貸しましたよ」
「論点をすり替えようとしてるんですか?僕は生徒に本を貸したことを怒ってるんですよ?」
「貸したことについては事実なので謝ります。申し訳ありませんでした。貸したという事実は変えられないので、これから同じことがないよう次回からは自分で購入させるか、欠品していれば我慢するよう指導します」
生徒から一方的に聞いた内容をあたかもそれが全体像であるかのように決めつけて、糾弾してきた。怒る前提で来ているので、僕が話す内容は事情説明ではなくて、言い訳としか受け取ってもらえなかった。
仮想敵を作り上げることで、国民の支持率を上げようとする国もあるのでその方法は完全に間違えているわけではないのかもしれない。僕が仮想敵となることでその子の成長が促されるならそれも甘んじて受け入れるべきだったのかもしれない。
僕にはそれを受け入れるだけのキャパが不足していた。
生徒指導部の先輩として生徒を指導するにあたって大切な心構えを反面教師として彼は見事に見せてくれた。