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充電中体験談 まなみさんその3

②充電期間
入学してほどなくして学校に行けなくなった。
勉強が嫌。教科書を見るのも触るのも嫌。学校に行きたくなかったし行けなかった。
食べて吐いて本を読んでテレビを見て、っていう生活の繰り返し。
中学の時の友だちが会いに来てくれたり、一緒に遊びに行ったりする時間は嫌な時間を忘れられ、嬉しかったことを覚えている。
でも、遊んでいる最中に友だちのする高校生活の話を聞く度に楽しそうでうらやましいなと思っていた。
「やっぱり私はこの子らと同じ高校に行きたかった」って素直に思った。
父は役所務め、母は保育士で共に公務員だった。
たまに平日休みがあった母は、学校に行っていない私に
「あんたが弱いからや」「いつまで逃げてるねん」「逃げてばっかりは弱虫のすることや」と言い放った。
父は、私にどう接していいのか分からない感じやった。まともにしゃべった記憶がない。
精神内科にも無理矢理連れて行かれた。なんかよく分からない漢方薬を処方されただけ。

・学校へ
2カ月弱くらいの充電期間を経て、家を追い出されるように学校に行き始めた。
『友だちの作り方』が分からなくて、その上、周りがすごく気を遣ってくれてることが伝わってきて、最初はすごく辛く、しんどかった。
少しずつ友だちもできて、中学以来の部活を再開した。今度は家に帰りたくないという理由からひたすら部活に没頭した。
朝5時に起きて自分でお弁当を作って登校。一人で朝練をして、授業中はほぼ寝て、夕方は暗くなるまで部活。帰ったらまた大量に食べて吐く。
授業中はほぼ寝てたから、当然成績もボロボロ。毎回、全教科の追試が待っていた。
服装が乱れようが、成績が悪かろうが先生たちは私に何も言ってこなかった。
それを家で母に話すと
「そら最初に登校拒否してんねんから、先生たちはあんたを腫物に触れるように扱うで」
と言われた。
高校生活は部分部分においては楽しかったこともある。友達と大勢でアホみたいにはしゃいだこともあったけど、今でも続いている友達は一人だけ。振り返った時に「高校生活が楽しかった」なんて全く思えない。

・家を離れるため選んだ進路
高校卒業後の進路に選んだのは(高卒で就職なんてもちろんさせてもらえなかったから)、兵庫県にある、寮付きの専門学校。とにかく家から離れたいという一心だった。
高校を卒業して数年たって母から言われた言葉は
「どこの高校行ったってあんたはきっと楽しめてないで」
「あんたの高校卒業の日、お母さん一人で泣きながら呑んだわ」
だった。

③へ続く

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