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元充電中の勇者 岩宮樹己君②

第三章 起立性調整障害
三つの壁に苦しむ樹己君に追い打ちをかけたのが起立性調節障害の発症だ。
たまたま少年野球時代のチームメートで発症している子がおり、知識があったことから樹己君のお母さんはその子のお母さんと連絡を取り、勉強を始めた。大阪の南森町にある専門外来を紹介してもらい、連絡をすると予約でいっぱいとの回答。たまたまキャンセルが出たとの連絡が入り、奇跡的に迅速な対応ができたよう。朝起きることができなくなってしまった樹己君。お母さんが「お昼からでも学校に行ったら?」と提案するが、お昼から登校した友だちが理由を執拗に聞かれたり、からかわれたりしている姿を何度か目撃していたことで昼から登校するという選択肢は当時の彼には無かったようだ。
「お昼頃に起きるとお母さんは大体家に居なかったんです。多分、起立性調節障害の勉強会に参加していたと思います」と話していた。
それをお母さんに話すと
「私は起立性の勉強をしながら、自分の心の安定を図るため、フィットネスジムに通いストレス発散、帰宅後は笑顔でいられるようにしていたの。でも、車の中ではよく泣いていたね。」
とのことだった。
お母さんが毎日夕飯の時間まで外出してくれたことで樹己君は一人の時間を持つことができた。YouTubeかゲームをして過ごしていたようで、当時は「嬉しさ半分、不安半分だった」とのこと。「自分の好きなことができている嬉しさとみんなが学校で頑張っているのに自分は何をしているんだろう?受験もこんなことでは突破できないぞ」という焦りが襲ってきては現実逃避を繰り返す毎日だったよう。
1年遅れでインドから帰国した父との間でゲームに対する考え方の違いから衝突もあったようだ。
僕も充電中は何故かゲームに毎日向かう時間があった。決まって夜中だった。
現実に向き合いたくない、考えたくないという思いだったと思うが、ゲームの内容はほとんど覚えていない。長く窮屈な時間を乗り越えるための自分なりの攻略法だったのかもしれない。周りからは「何ゲームしてるの?学校も行かずに」と思われても仕方ないよなと当時諦めていたように思う。

第四章 苦しい家庭訪問
樹己君が当時一番苦しかったのが、週一回あった担任による家庭訪問。現実逃避がしたい樹己君にとって一気に現実に引き戻されることに嫌悪感しか抱かなかったようだ。
お母さんは「絶対にこれだけは断らずに受けなさい」と話していたようだが、当時のことはあまり覚えていないとのことだった。
取材時には「多分、当時は学校に戻ってほしい、そのチャンスがそこにあるかもしれないって必死だったんだと思うな。唯一の学校との接点だったから。怖かったのかもしれないね」と話していた。
樹己君も当時を振り返って
「当時は嫌で嫌で仕方なかったですよ。だって僕は現実逃避がしたいのに週一回無理矢理現実に直面させられるわけだから。自由にさせてほしかった。でも今は本当に感謝しています。社会復帰というか高校へ進学しようという火が消えなかったのは当時の母の僕への思いのおかげだと思うから」

③へ続く

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