新聞スクラップ
九月頃から新聞のスクラップを始めている。以前何度も挑戦した。その度にスクラップブックを無駄にした。とうとう一冊が新聞記事で埋まることは無かった。
でも、今回は違う。意外(?)にも続いている。
自分でも「やれば出来るもんだ」と変な自信に感心していた。
では、どうして継続出来ているか。今までとはちょっと違ったスクラップ行為をしているからだ。三冊目になった頃から、張り付けた記事を再度読み返している。いや、張っただけで読んでいない記事もあるから、すべて再読ではない。そして興味を惹かれた言葉には、オレンジ色のマーカーで目立たせたり、気づいたことを書き込んでいる。
面白いものだ。
新聞記事は、只の情報だと思っていたのに、情報が体温のある言葉として伝わってきた。記事を書いた人の書いた時の思いが伝わってくるようだ。
横書きと縦書きの違いもあるかもしれない。ここ暫くメールやネットの記事など、横書きの文字に触れることが多かった。
横書きは、キーワードを読み解くには最適だ。しかし、文章全体の雰囲気を感じ取るには不便かもしれない。文章の雰囲気を味わう中だからこそ、記事の中にある至極の言葉を発見できたかもしれない。
そして、何よりも大切なのは、記事を反芻することだ。
テレビの情報も、映像に残るネットの情報も一瞬に流れる。一瞬に流れる情報の中で記憶に残るものは、どうしても刺激の強いものばかりになる。
情報の選択手段の中で刺激臭が大きな位置を占めている。だから再度触れても同じ刺激臭しか残らない。刺激は徐々に薄れていく。
それと比べて、活字の新聞記事の反芻には新たな発見があるようだ。
偉そうなことを書いても、今やっと四冊目のスクラップブックが本棚に並んだところだ。
本棚に飾った(?)茶色の束をちょっと満足げに眺めている。
今度は継続させたい。そのためには、大量の記事の中から宝物を探す余裕の時間が必要だ。
いや、必要なのは時間ではない、心の余裕だ。