本当に必要なものを思い出すとき
元々ひとりだった。運よくこの家族や恋人、友だちに出会った。
だから始めから失うものなんて何も無い。
生まれたとき、大泣きする私を母が抱きかかえ、その周りでみんなが笑っていた。死ぬときは、亡骸の私を皆が囲んで涙を流す。
だから今度は微笑んで逝きたい。
終わったことは、すべてベストチョイスだと思っている。亡くなった人も「成仏」の言葉どおり仏に成って「すべて良し」と笑っている。
「これからどうなっていくのか」
「感染者が増えて経済も駄目になる」
そんなことはない。
個を充実させる人が増えれば、「ポストコロナ」の世界はバージョンアップする。また始めればいいだけだ。
本当に必要なものを思い出す時が来た。
時間をかけていい。ゆっくりでいい。
軽やかに暮らしたい。
自分を楽しませる
他人を尊重する
この世の不思議を味わう
色々言ってもこの三つで自分の人生は出来ていると思う。
他人と比べて自分を追い詰めてもなるようにしかならない。
だから苦しくなったら、美味しいものを食べて笑顔をつくる。
その笑顔は誰に向けたものでもなく、自分を楽しませるものだ。
自分より優れていようが、劣っていようが、目の前の人の話を聴いてみる。
尊敬ではなく尊重することが大切だ。
合わない人がいれば適度の距離を置いて、相手の縄張りを無理に侵さない。
世の中の三割の人は私と合わない。
人との出会いも仕事への情熱も不思議だ。
勝手に誰かと居たいと思ったり、頼まれもしないのにやりたいことを探して頑張ろうとする。この世に生まれたからには何かしなければ、と信じ込んでいる。でも不思議は不思議として楽しむ。あの世に助けを求めずこの世を楽しむ。
こんなことを考えていたら、所ジョージさんの言葉を思い出した。
「軽やかに暮らす」
いい言葉だ。
生きる目的を探すことも必要。
でも、今は生きたい理由があるだけで幸せだ。
こんなことに気づいたら、「なれない自分」「だらしない自分」を認めてあげること。明らかにしてあきらめること。
きっと周りにいる他人も同じような気持ちでいる。そうでないとしたら、その人は自分と合わないということだ。
自分を楽しませる(幸)
他人を尊重する(倖)
この世の不思議を味わう(仕合わせ)
これを私は、「三つのしあわせ」と呼んでいる。
私の人生はこの三つで出来ている。