人生は生かされているんじゃない
「人生は生かされてるんじゃない」
「生きる人生でなきゃいけない」
「あなたが幸せだと人はあなたを妬むかもしれません」
「かまわず幸せになりなさい」
(マザー・テレサ)
歳を重ねると穏やかになる。私の顔つきも以前より緩むことが多くなったと思う。他人の言葉を不必要に受け取り、勝手に傷つき勝手に怒りを抱いていた。若いときはそんなものだった。
それはそれでいいと思う。新しい細胞が毎日生まれる若いときなら身体も心も自由に動き回れるから、それでいい。でも今は違う。いつも敏感に反応していては疲れてしまう。今は生きるスピードも落ちている。外敵からの攻撃に心も身体も追いつかない。だから穏やかになったというより無意識にあきらめたという表現が適切かもしれない。
そして、とうとうこんな言葉にたどりついた。
「私は生かされている」
一見して「なるほど」「確かに」と思う。歳を重ねて穏やかさを身につけたように思う。
でも、本当だろうか?
そもそも私は誰に生かされているのだろうか?
他人か、世の中か、ましてや神に生かされているんだろうか?
一見分かったような言葉も突き詰めれば、さらに分からなくなる。
「自分が、自分が」だけではなく、他人に感謝することは大切だと思う。誰かの世話になり、その恩を返すために生きているという言葉や考え方も否定しない。実際多くの人のお世話になった。でもそれは、自分が恩返ししたいと思う気持ちから始まる。他人に生かされているとは違う。
私は私の人生を全うしたい。
「生きる人生でなきゃいけない」
今はそう思っている。
そう思うと不思議に内側から新しい力が湧いてくる。外からの力で生かされているんじゃない。自分の力で生きようとしている。ゆっくりと丁寧に生きていければいい。他人に迷惑さえかけなければ、もっとわがままでいい。私のわがままなんてたかが知れている。勝手にそう思うことにした。
「人生は生かされてるんじゃない」
「生きる人生でなきゃいけない」
「いま伝えたいこと」があります。 気になったタイトルを見つけて興味のあるものから読み進めていただきたい。 私が書いた文字と文字の間には、書ききれなかった私の思いが隠れている。その余白は、読者が読者の言葉で埋めて欲しい。そうすることで書かれた文章が自由に歩き出し、読者の世界と繋がる。