人と会話するとき、自分が優れていると見られるように無理してませんか?
さて、ここで皆さんに質問です。
人と会話するとき、自分が優れていると見られるように無理をしていませんか?
私も、「自分はそんなことはない」と思っていましたが考えてみれば思い当たることがありました。
誰かと話をしている時、「何と答えようか」「何か気の利いた言葉はないか」と常に「次に何をいうか」を考えていました。
もちろん、これがあるから会話は続くのですが。
相手の話を聞くときに、100%聞くことに集中していたらすぐに返答することなんてできません。聞きながら常に頭の中で次の言葉を選んでいます。
「何か気の利いた言葉はないか」と考えていました。
その背景には、「自分が優れていると見られたい」というどこか幼稚な感情があったように思います。
さらに、自分の内面を見つめれば…
「自分が優れていると見られたい」という気持ちの裏には、「弱みを見せたくない」という隠したい部分がありました。
ここでどんな弱みがあるかは言いません。
でも自分の中では、その弱みがあることを認めていきたいと思います。
自分の中に「こんな弱みある」と認めれば、「自分が優れていると思われたい」という気持ちが小さくなります。
たとえ思いが出てきても、「また思っている」と自分をなだめることができます。そしてそれを徐々に変えていくだけです。
そうすると、相手の話も違った形で耳に入ってきます。
人の話を集中して聞くことができるようになりました。
自分が優れていると見られるように無理をしない
相手との距離が少しですが縮まったような気がします。
「自分の中の隠したい部分(弱み)を認めれば、人との距離が縮まります」「相手と自分は違うことに気づき、理性によって共に歩む道を模索する」
「会うべき人に出会ったことに感謝して、相手に思いを伝えて執着しない」
これらは、「人間関係からの解放」と名付けた人間関係に関する気づきです。
人の悩みは突き詰めれば、仕事とお金、そして人間関係と言われています。
その中で人間関係に関する悩みは多種多様です。夫婦、家族、友人、職場など他人との接点すべてに学び(気づき)があります。しかし、その学びの多くは悩みから発生します。
「人間関係」は悩みの宝庫です。
同時に、学び(気づき)の宝庫でもあります。
「人間関係」の悩みから学んだ気づきを使って、「自分を愛でる気づき」を発見してください。
人間関係を考え悩むことは、自分を人間関係という呪縛から解放することで
あり、自分を愛でることでもあります。