「嫌い」には理由があるけど、「好き」には理由がない
「嫌い」には理由があるけど「好き」には理由がない
「なんとなく好き」「それでも好き」でいいと思う。
そんな人や物に囲まれていたい。
こんな時期だから、「嫌い」よりも「好き」をもっと深く考えたい。
「愛おしいことば」(中日新聞 堀田あけみ)の中にこんな言葉があった。
「土曜日のチャーハン」
土曜が完全に休みになって、半日で帰ったときの父が作ってくれたチャーハンが食べられなくなった。純粋に味の問題じゃない。うまさだけじゃない。「お、帰ってきたか」と立ち上がる父の笑顔なしでは土曜日のチャーハンは成立しない。
読みながら愛おしいと思う。「土曜日のチャーハン」という言葉が大好きになる。自分の過去のワンシーンが言葉に重なる。
父親が台所に立ち不器用な包丁さばきを見せていた。木のまな板の上で、コン、コンと切れ味の悪い鈍い包丁の音がする。チャーハンに入れるために、母親が買っておいた赤いウインナーを切る姿は楽しそうだった。
その横で子どもの私が父親の左腕に自分の手を絡みつけて笑っている。何の話をしていたかなんて、もちろん憶えていない。でもその時の幸せ感は、「土曜日のチャーハン」という言葉を想えば思い出すことができる。
好きになった、「なんとなくの理由」をはっきりさせようとは思わない。「なんとなく」のままでいい。
この、ほんわかした言葉や表現が心地いい。
なんとなく好き・・・こんな感性を大切にしたい。