私が使っている通路側のベッドは、季節を感じるには不便だ。(2)
一月にしては暖かいそうだが、入院して三か月ともなると、そろそろ季節感が危うくなる。四六時中病棟にいるから、寒い冬の肌感覚も忘れそうだ。看護師さんが、きょうはそと寒いよ、と震えるフリして話すから、辛うじて冬の寒さを想い出していた。確かめるように窓に近づき、さらに寒い冬を探そうとした。
見つかったのは「春になれば」という空想だった。
淡紅色の花びらの下を、小さな女子の手を引く若い親子がいる。子供の歩幅に合わせてゆっくりと歩いている。父親がさくらの花を指さし愛娘の興味を引いている。少女の眼がひらひらと舞う淡紅色を追っている。つかもうとしても花びらは逃げ惑うばかり。父親は手からするりとぬけた愛おしいものを離さまいと急いだ。それを傍らで笑みをこぼして写す母親がいる。やわらかさとぽかぽかの心地よさ、運ばれる春の匂いは私の記憶の中にもおぼろげに残っている。
私の生まれた家には大きなさくらの木があった。祖父が建てた家だからかなりの年代ものだ。不釣り合いな大きなソメイヨシノが狭い庭を威張るように占領していた。台風の夜は小さな平屋がいつ潰されるかと家族みんながひやひやしていた。しかし春だけはご近所の憧れとなり、自慢の庭園になった。そして今では珍しい縁側のある家だった。
私と弟は温まった板の縁側で両足をぽんと投げ出していた。その真ん中で若い母が両手を思いっきり広げて二人を抱きかかえている。三人が口を開けてゲラゲラ大笑いしている。庭からお道化た父がカメラを向けていたからだ。暗くて寒い北側の台所をいつも嫌ってた母なのに、このときばかりは祖父のこだわった家とさくらの木に溶け込んでいた。小学生の頃だった。ただ無邪気だった。さくらの花びらもはしゃぐように舞っていた。
冷えたガラス窓に指が触れると流れる水滴といっしょに冬の病室に戻ってきた。しんとした部屋の中では無邪気な笑い声も聴こえず、そばには弟も母もいない。庭先にあった春の匂いの記憶だけが鼻を擽っていた。あの写真はどこにいったんだろう。古いアルバムにも貼ってなかった。モノクロの淡紅色をもう一度見たい。家に帰ったら探してみようか。
春夏秋冬、春は四つの季節の中でただひとつ口にしたい季節だ。「春になれば」の言葉から連想するのは、「さくら」というかな文字と「桜」の一文字。さくらは花びらを差し、桜は大きな樹木を思い描く。こげ茶の幹の上にピンクの絵具を散りばめている。文字に纏わるやわらかな水彩画のようだ。
でも、そんな風景をもう描くことも出来ない人がいた。そして、この「桜」という文字は、病人にとって特別な意味があることを知った。
来年の桜は見れないかもしれない、と同室の安住さんが年末に医師から告げられた。
「引導を渡されたよ」と蒼白く細くなった顔に薄笑いを浮かべて言った。
この頃一段と頬骨が出てきたかもしれない。
目を移すと窓越しの景色は冬のままだった。
安住さんは病室の先輩にあたる。抗癌剤の副作用でお腹がむうっとして何も食べれないとき、炭酸ジュースや濃厚なアイスクリームを教えてくれた。たしか五十前の若さだったと思う。フラフラと病室のなかを歩き回り、うっとうしいと嫌う人もいたが、私はそうでもなかった。退院したら王将のラーメンとチャーハンが食べたいな、きっとうまいぞと言いながら薄味の病院食を無理やり掻き込んでいた。
それでも、夜中に痛みに堪えるうめきが安住さんを覆うカーテンの奥から漏れていた。もうさくらの花びらは見れないと聞いたとき、あのうめき声がフラッシュバックした。
「春になれば」と思っていた。「春までには」と病が良くなることを願っていた。完治は疾うにあきらめている。でも、春にはさくらを見れると、命の途切れるときに触れないでいた。
しかし、この願いが断ち切られるような、残酷な言葉が宣告された。
「そうですか」
「ソウデスカ」
自分でも分るほどギコチナイ言葉を彼の告白のあとに続けていた。
舞い始めた窓外の雪を黙って二人で見ていた。
でも彼の目に映る雪とは違ったと思う。
入院する前、主治医から「僕は治すつもりで治療するから」と言われた。だから治ると信じようとした。でも今は、子供たちに囲まれてベッドに横たわる自分の亡骸が見えた。腰から下の力が抜けて宙に浮いているような感覚がした。
安住さんは何を見てるんだろう。二人の癌患者がつくる重い空気感のなかで、所々軽くなる場所を見つけて彼が求める言葉を探したが、最後まで見つからなかった。
小さく背を丸めた安住さんを男なのに抱きしめたくなった。そして、私も他の誰かに抱きしめて欲しい。出来るだけ早くこの場を立ち去りたかった。
(つづく)
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