同じ感性の人と暮らしたい
狭い山道を運転中、スピードを上げて走っていたバイクが右カーブを曲がり切れず左の路肩に転倒した。後ろについていた自分の車に災いが降りかからなくとも、通り過ぎながらバイクと一緒に倒れていた若者が大丈夫だろうかと気になった。
妙な冷静さと後ろめたさが入り混じったような感覚だった。
こんな時、そのまま通過しようか、車を止めようかといつも迷う。迷うなら止めて様子を見るべきだった。大したことがなければそれでいい。でも同乗している人はどう思ったか。感じたか。そんなことをふと考えることがある。
同じように車を止めて様子を伺う感性の人と一緒にいたい。
ある出来事が起きて、自分と違った対応を出来る人、自分と違った感性で行動できる人は勉強になる。でも一緒に暮らす人は同じ感性の人がいい。お互いに相手の気持ちを推し量る必要がないからだ。
お互いの趣味は違っても構わない。好物や好きな映画が違ってもいい。ただ喜ぶ部分、悲しむ部分は同じ方がいい。
人と暮らせば色々なことがある。起こった出来事に対しすべて同じ気持ちを抱くという訳にはいかない。またどうして違うのか、違いを見つけて共通点を探ってお互いに人間性を高めるというような論理的な人間関係改善の行動も一緒に暮らす人に対してはしたくない。
同じところで喜び、同じことで悲しむ人と一緒に暮らしたい。
その理由はわからずとも、二枚の紙に重なり合っている部分があるようなものだ。その重なり部分は、ふんわりとした緩やかな暖色系の色をしている。言葉にしなくても同じ呼吸で既に理解しているようだ。
その人との間にはそういう穏やかな空気を感じていたい。何か特別な理由があるわけでもない。言葉を探して二人のつながりを無理に表現するわけでもない。同じ感性を持つであろうというおぼろげな感覚だけでいい。
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