「間違い」が出来ない仕組み
北海道知床半島沖の観光船遭難事故の報道が続いている。救助に向けての様々な行動が毎日知らされる。同時に事故の原因についても新しい事実が集められてきた。
事故発生時の連絡方法、携帯電話は繋がらなかったようだ。極寒での救命用具も問題となった。出港の判断も利益優先であったとされている。船長の経験不足、そして観光船を運営する会社の社長の発言や行動も批判されている。さらに被害にあった乗客を悲しいエピソードを絡めて紹介している。そして、事故を招いた不十分な事業認可の方法も事故の一因として上がった。
救助が進まない今、情報が放射線状に広がっている。集められている。
情報は飛び込んでくるものでなく、意図的に集められている。
そうすると、報道を見ている傍観者はそろそろ分からなくなる。興味も薄れていく。新しい事件が起きれば、遭難事故の新事実は新聞の一面から見開きのページに移動する。そして、いつかはその波紋は薄まりぼやけていく。
だから今、ここで書き留めておきたい。
何かを学ぶとしたら ・・・ 「人は間違うということ」
間違いにも二種類ある。
ひとつは、判断ミス
天候不良で他の観光船が欠航しているのに出港したこと。事実を丁寧に集め、意図を入れず、正確に冷静に判断することだ。
もうひとつは、いけないと分かっていてもやってしまうこと。
これが大きな問題となった。
会社の通信アンテナが壊れていたこと、救命いかだの不備、通信手段の不足など。いけないと分かっていても、「まさか事故は起こるまい」と油断していたと思う。しかし、これは利益優先体質という言葉で済まされることではない。
「不備があれば出港できない」、こんな仕組みがあったらと思う。
通信設備、救命用具、乗員の経験規定など、厳しいが規定をクリアしないと事業を運営できない。出港できない。やりたくても出来ない。仕事の中に曖昧さを無くすことだ。都合よく誤魔化すことも出来ないようにする。
「利益優先体質」と批判されなくても、誰もが「これぐらいはいいだろう」と楽な方に流れる。「そんな人じゃない」と信頼していても、人は楽な方に流されてしまう。自動車製造業での検査不正、産地偽装など、過去にも同じような「不正」があった。
だからこそ、人には「不正が出来ない仕組み」が必要だと思う。人に道徳を求めながら、同時に「不正ができない仕組み」の中で人を動かすことだ。
それは、被害者を出さないと同時に会社と従業員を守る。今回の事故も被害者やその家族だけじゃない。会社の従業員、その家族。関連するホテルの社員やその家族、多くの人を不幸にする。知床に重苦しい冬の雲を再び呼びよせてしまった。
今回の遭難事故を非常識な観光船会社の特異な事件として済ましてはいけない。
「自分は間違う」と思って、その対策をしておくことだ。間違いを出来ない仕組みを作っておくことだ。間違いがあると仕事が前に進まない。そんな厚い壁を仕組みとして作っておくことだ。
以前私も気持ちが不安定な時期があった。
自分が正しいと思っても、このままでは何かとんでもない失敗を起こす恐怖心があった。
そんなとき、どうしたか?
信頼する同僚に「私が間違いをしそうになったら遠慮なく言ってほしい」と頼んでいた。そうすることで、変に思っても言われた同僚も間違いを指摘しやすくなる。我ながら思い切ったものだ。でもこんな自分を守る仕組みも必要だと思う。
難しく考える必要はない。出来ることから行動する。
とにかく何か行動を起こすことだ。
「自分は弱い」「自分は間違う」と思えば、気持ちも楽になる。
テレビのコメンテーターが、事業認可など行政の不備を訴えていた。
何も無い時代は、行政が仕組みを作って、その中で社会が動いていた。でも今は、行政よりも現実の社会活動の方が前を走っている。だから「行政が悪い」と言っても、行政は社会活動の後追いでしかない。だったら、間違いを出来ない仕組みを自分たちで作るしかない。
そして、いつも悪いのは行政?でも行政って誰だろうか?
行動を起こす個人を特定できなければ、いつまで経っても変わらない。また別の事件が起きて、また「行政に問題がある」という形ばかりの言葉を繰り返すことになる。