誰も間違いを認めない
自分の頭が悪いのか?
・・・と近ごろ悩んでイラついて、腹の中にいつまでも不消化な気持ち悪さが残る。こんなときは心の内を書き出してスッキリさせた方がいい。
ジャニーズ問題で、「テレビにも責任がある」と追及されればアナウンサーは、「厳しい意見がありました」「我々も反省しなればいけません」と誰もが同じコメントを繰り返す。今もって用意された原稿を読んでいる。
上の空の「反省」という言葉はいらない。
言うなら「反省しなければいけない」ではなく、「今、大変反省しています」だ。
とても反省しているとは思えない。
なぜならキャスターは誰も頭を下げていない。
いつでも評論者の立場だ。
「私たちは、私は間違っていました」
「私個人も間違っていました」
「申し訳ありませんでした」
と頭を下げる。
これが最も分かりやすく見る人の心を動かすものではないだろうか。だから私はこんなテレビの態度をますます信用できなくなった。
「私たちは間違えました」「ジャニーズに忖度していました」
「私たちの利益を守るために目をつむっていました」
こんな当たり前の言葉を言えないキャスターはもう信頼できない。
いらない。
誰も反省なんてしていない。運が悪かったと自分を守る。
だから色々言葉を重ねて心の芯を隠す。自分の心の芯には触れずにいる。触れないのは他人ばかりでなく自分自身も触れるのが怖い。だから話せば話すほど核心から外れ、聞いてる人は「もうどうでもいい」と思ってしまう。
心の芯をさらけ出すことがとても怖いのだろう。
細いシャーペンの芯のように、守られないとすぐに折れてしまうのか?
人と人との間にあるもの、それは・・・
「利益関係」
「力関係」
そして、「相手への恐怖」
いつ自分が落としこまれるかと、いつも他人に恐怖を抱いている。
だから触れられたくない核心部分を隠す。
多くの視聴者は、みんな気づいてる。
「そんなもんだ」とあきらめる?
「どうでもいい」と何も考えない?
「ジャニーズなんてどうでもいい」、それはそれで構わない。
でも、「間違い」というキーワードを改めて心に留めて欲しい。
「間違い」を認めることがいかに大変であるか、いかに大切か
他人事とせずに自分の過去も振り返って欲しい。
難しい問題だからこそ、あえて言いきってしまおう。
間違いを認め、謝った上で「これから」を語ればいいと思う。
行った行為は許せない。でも「赦す」とすれば、それは「これから」をつくるために何をするかということだと思う。
元々、「許す」と「赦す」は違う。
「許す」とは行った行為そのものを忘れること、これは絶対出来ない。「赦す」とは、「許し」たあと、これから同じことが起きないように共に行動すること。これは出来るかもしれない。いや、しなければならない。そうしないといつまでも過去に縛られる。
まずは、「間違いを認め謝る」
「反省」という心に響かない他人言葉でなく、「申し訳ありませんでした」と自分言葉で言って欲しい。「性加害行為は絶対ゆるさない」といくら言葉を並べても、浮ついた言葉に思えてならない。
そして「赦す」ために何をするのか、具体的な計画が無ければ未来に向けた「これから」はつくれない。また言葉だけのスローガンで終わってしまう。
間違いをしたら謝る。
その時の言葉は「反省しています」ではなく、「私たちは間違っていました」「申し訳ありませんでした」
それだけでいい。
そして、こんなことも覚えておいて欲しい。
「間違いを認めるとすべてを失ってしまう?」
そんなことはない。