「許し」と「赦し」
「ゆるす」という言葉は、漢字では「許」と「赦」の二つがあてられる。前者は許可する意で、後者は本来許可できない悪いことをした相手をせめないことだ。
水に流す、忘れるということではない。私を傷つけたあなたを人間として受け入れるから、あなたも同じ人間として私の痛みを知って二度と痛みを経験する人が出ない未来を一緒に作ってくれ、という相手への突き付けにも似た、最後の祈りなのです
新聞紙面でこんな文章を見つけた。
「許す」は許可する意味
「赦す」は相手をせめないこと
「赦す」は相手を人間として受け入れる
「赦す」は未来を一緒につくること
文章を読んで、「許す」と「赦す」の違いが少し理解できた。
「水に流す」「忘れる」、そんなことは容易にできない。だから相手に怒り、恨んでもいい。でも同時に大切なのは、同じことが起きないように未来を一緒につくることだと思う。
そんな簡単なものじゃない。確かにそうだ。でもそうしないといつまで経っても、自分はその苦しみから抜け出せない。出来事が自分を苦しめ、さらに自分の思いがまた自分を苦しめている。心のなかの僅かな隙間に「赦す」という文字を置きたい。
人は生きてる限り、どんなことがあっても前に進まなければならない。
だとしたら自分から道を切り開くしかない。
それが、相手のしたことを責めないで「赦す」ことだと思う。
相手はどうなのか?「許される」ためにはどうするか?過ちに向き合うことから始めなければならない。相手の痛みを同じく感じることから始めなければいけない。
ところが今、問題を起こした多くの人は、過ちに真摯に向き合うことすらしていない。間違いを一度認めるとすべてが否定され、すべてが無にされてしまう。そう考えているためなのか。
それでも「許される」ことから始めるしかない。
自分も相手もその場から抜け出せないでいる。
「許す」は過去の行動に向けた言葉だ。
「赦す」は未来に向けた行動を意味する。
悲しみから抜け出すためには、「許す」と「赦す」が必要だと思う。
言葉はつくづく不思議だ。
そのときの感情や状態を表現するだけじゃない。
未来に向けた行動につながる。