料理人の学び合いで美食の街を作っていくプロジェクト。函館の実践から学べること。
こんにちは、きづきくみたてファシリテーターの森本です。
今回は、今、私が関わらせてもらっている長野県、松本市のシェフたちの学び合いの活動について共有させてもらいたいと思い、これを書いております。
今回のエントリーも約一万文字と、とても長くなっていますので、お時間のある時に読んでいただけると幸いです。それでは本題です。
皆さんは、スペインにある世界一の美食の街と言われるサンセバスチャンについて聞いたことがあるでしょうか。
世界一の美食の街サンセバスチャン
2012年に高城剛さんが、「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか」という本を出版されたことで、日本でも急激に知名度が上がりました。
(かくいう私も、高城さんの本をきっかけにその存在を知りました)
きっと聞いたことがあるという方もいらっしゃるのではないかと思います。
なぜサンセバスチャンが世界一の美食の街になれたのかについては、まずは本書や下の記事を読んでいただくのが良いのではないかと思います。
世界一の街を作った原動力はシェフ同士の教え合い、学び合い
上記の記事にあるように、その理由の1つが、ルイスイリサール料理学校での実践や、料理人たちの学び合いにあると言われています。
日々、教育や人材育成をテーマに活動している人間としては、「学びを通じて、街が豊かになっていったというこのケースは、なんと興味深いのだろう!!」と思い、どうやってこれを実現していったのか、いつか自分の目で見てみたいと思っていました。
サンセバスチャンでそば教室を行ってきた話
そんな私ですが、無事2020年の2月サンセバスチャンに視察に行ってくることができました。
それも単にいくだけでなく、日本のそば職人さんと一緒にこのルイスイリサール料理教室でそば教室を提供することができたのです!
その時の様子が動画にまとめられているので、興味がある方はぜひご覧いただけたらと思います。
そのそば教室には、当時、現役で学んでいた生徒さん達や、卒業生に加え、果ては、現地の星付きレストランのシェフにも参加していただくことができました。
こんな体験をさせてもらえるなんてなんと言う運の良さでしょうか。
なんでも、引き受けてくれた時には、ビシ校長先生から
「ちょうど、今、グルテンフリーがブームになっていることもあり、蕎麦作りには興味を持っていたところです」
「一度、自分でも作ってみたことがあるのだが、うまくできなかったので教えて欲しいです」という言葉をいただいたとのこと。
1人の日本人として、世界の食の歴史に名を刻んでいる料理教室の校長先生から、そんな風に言ってもらえているというところが嬉しい限りです。
いきなり依頼してきた我々側からのオファーを引き受けてくれたのも、サンセバスチャンの皆さんの食に対する探究心、この学び合いの精神があったからではないかと想像します。
そして、私は本当に蕎麦屋さんの友達がいてくれてよかったと思いました。
こんな取り組みをさせてもらえたのも、現地のコーディネーターである山口純子さんや、山口さんに働きかけてくれたみらい研のオーナーである後藤正樹さんの力があってこそ。2人には本当に感謝しています。
コロナ後のルイスイリサール料理教室
そして、2020年の2月といえば、コロナに入る直前、本当にギリギリのタイミングでした。このプロジェクトがもうあと一週間後ろで計画されていたら、タイミング的に出国が禁止になり、中止になっていたでしょう。
世界中でコロナが流行し、移動が難しくなってしまっていた当時から「本当にあのタイミングでいけてよかった」と、仲間内で、話をしていました。
それが、コロナが明けた今となり、その運の良さがいかにすごいレベルだったのかということがわかりました。
というのも、このコロナの影響で、残念ながら、およそ30年間に渡り、今のサンセバスチャンを作るための一役を担ってきたルイスイリサール料理教室がクローズしてしまったのです。
リンク先の料理教室のサイトに行ってもらうと、冒頭で以下のようなメッセージが出てきます。Google翻訳で通したものを貼っておきます。
先日、サンセバスチャンに再訪した後藤さんがビシ校長先生に聞いてきたところ以下のような説明がなされたということでした。
これからまた何かをきっかけに再開する可能性もなくはないですが、現時点ではもう2度と見ることができなくなってしまっています。
コロナによって、1つの歴史が終わってしまったことはとても悲しいことだなと思いますが、私も何か支援ができたわけでもありません。
当事者だからこそわかる苦労がいろいろとあろうことは容易に想像がつきます。
私も閉じてしまったと聞いた時は、今からぜひ再開してくださいと言いたい気持ちが生まれたのですが、これを聞いて以来、彼らの判断を尊重し、次の活動を応援したいという気持ちになりました。
信州嵐(シンシュラン)とは
このサンセバスチャンに蕎麦教室をしに行ったのが、信州松本平をサンセバスチャンのように、日本一の美食の街にしていこうと活動している信州嵐(シンシュラン)という有志団体です。
文字を見ていただければわかると思いますが、この名前は「信州」と「ミシュラン」を掛け合わせて生まれました。
現在、蕎麦屋さんだけでなく、日本食、イタリアン、フレンチ、和菓子、中華などのシェフ人に、農家さんたちも加わり、総勢20名弱の団体になっています。
松本のシェフが集まり、教え合い、学び合いを行いながら、もっと素敵な街や美味しい料理を作っていこうと取り組んでいます。
活動の様子はこちらのFacebookページで確認することができるのでぜひチェックしてみていただけたらと思います。
またさまざまな特典がついてくるファンクラブも設立しています。
函館の実践
そんな信州嵐が今後、活動していくにあたって、日本の他の自治体の実践を参考にさせてもらっています。
日本においては、すでにサンセバスチャンを参考に街づくりをしていこうという活動がたくさん生まれています。
そのトップランナーが、北海道にある函館です。函館には、まさにルイス先生と、一時期をともにし、長い間、交流を深めてきた深谷シェフが中心となり、様々な活動をおこなっています。
詳しくは、下の本にまとめられていますのでぜひ読んでみていただけたらと思います。
信州嵐のメンバーもこの本を読み、いろいろと刺激を受けています。
ということで、今回、信州嵐のメンバーで、深谷さんのところにお話をきかせてもらおうと、2023年の5月17日、18日と函館の深谷シェフのお店である「レストラン バスク」にお邪魔し、お話を聞かせてもらってきました。
今回、信州嵐でプロデューサー的な活動をしている後藤さんに声をかけていただき、私も同行させてもらいました。声をかけていただき、本当に感謝です。
函館のバル街
深谷さんのお店に伺おうとスケジュールを調整したのですが、今、このバル街の取り組みでなかなか時間が作れないということで、我々が時間をいただけることになったのが、2日目のお昼の時間帯でした。
ということで、1日目は函館の街並みや、バル街の様子を感じようと、市内の視察を行いました。
深谷シェフは、自身でバスク料理のレストランを営むだけでなく、サンセバスチャンの街づくりを参考に、函館でもより食を楽しめるようになる取り組みをいくつも実現されています。
その一つが先ほどから出てきている「バル街」です。
「バル街」というのは、深谷さんがサンセバスチャンからの帰国後、故郷である函館に、サンセバスチャンの食の楽しみ方「バーホッピング」を持ちこんだものです。
バーホッピングを日本語で言うと、はしご酒がイメージが近いかもしれませんが、サンセバスチャンのバーホッピングは、それとはちょっと違います。
日本のはしご酒の場合、1つ1つの居酒屋で過ごす時間は90分とか、120分とかという時間単位ではないかと思いますが、サンセバスチャンのバーホッピングは、ビール1杯に、おつまみ1つ(ピンチョスと呼ばれる指でつまめるようなおつまみが主流)を楽しみ、すぐに次の店に行くというものです。
時間にすると、1件あたり、15分〜30分というイメージでしょうか。それを3件、4件、5件、6件とつないでいきます。
お店ごとに、得意とするピンチョスがあるため、それを食べ歩いていくようなイメージです。
函館では、このバル街と言う取り組みを、すでに2004年からやっているとのことです。
ここ2年ほど、コロナの影響で止まっていましたが、2023年の5月20日、21日に3年ぶりに行われました。
今では、この函館の取り組みを参考に、日本でもあちこちで200以上のバル街が行われているということでした。
残念ながら、我々は別の日程があり、久しぶりのバル街の開催直前の様子だけをみて帰ることにしました。バル街当日のマップを見ながら、いくつかのお店を巡っていきます。
現地に行ってみて面白いなと思ったこと
本などで読んだ情報や、サンセバスチャンの様子を視察に行った時のイメージでは、函館のバル街では、この通り周辺にびっしりとバルが並んでいて、そこを歩きながら、順にお店に入り、食を楽しんでいくのかと思っていました。
おそらく、イベント当日はそのような状況になるのだろうと思いますが、我々が行った時には、エリアマップ上ではたくさんのお店が表示されているのに、全然お店がみつからなくて、びっくりしました。
なんとか見つけたクラフトビールのバーのマスターに聞いたところ、なんと、このバル街のイベントに合わせて、日頃から飲食店をやっているところだけでなく、普段飲食店ではないところも含めて、さまざまなスペースを借りて、ピンチョスなどを振る舞うことになるのだそうです。
その日は、函館の西地区エリア以外からも(中には青森県からも!)、お店を出しにやってくる人たちもいるということをおっしゃっていました。
今年に関しては、前売り券も一瞬で売り切れたのだそうです。それだけこのイベントが魅力的なものになっているのだなということを感じました。
なお、なんで前売り券をもっと発行しないのだろうと不思議に思っていたのですが、供給側がおいつかないという問題があると言っていました。
たしかに、日常的に飲食店を行っているところばかりではないでしょうし、これだけ注目されてしまうと、需要に追いついていくのも難しいのだろうと思いました。
深谷さんから学ばせてもらったこと
2日目の朝10時から、我々は、レストランバスクで深谷シェフからお話を聞かせてもらうことになっていました。
時間ちょうどにお伺いし、まだお客様のいないレストランの一室で、我々4人と深谷シェフとが対面に座り、話を聞かせてもらいました。
・我々が何者なのか。
・信州嵐として、これまでどんなことをして、これからどんなことをしていきたいと思っているか。
・深谷シェフがこれまでに取り組んできたこととはどういったものなのか。
・今の函館の活動の様子はどんな状況なのか。
およそ1時間半にわたって質問をさせていただきました。
その中でも私が、気になっていた1つの問いがありました。
それは深谷シェフが最近出された本である「料理人にできること」というタイトルの先にあるものです。
この本を拝読し、また深谷シェフの活動を聞いていくと、とてもではないけれど、普通の料理人にできることではないなと言うのを感じました。
「深谷シェフは自分のことを料理人だとおっしゃっていましたが、とてもではないが、普通の料理人にできるレベルのことを大きく超えているように思います。ルイス先生の場合、料理人と教育者の2つの精神が重なりあって、あの活動が生まれたのではないかと想像しますが、深谷シェフの場合、ご自身をどう認識されていますか?」
と。
そこで聞かせていただいた内容は、本に書いてあったことと重なる部分もありましたが、直接、話を聞かせていただくと、全然違う印象を持ちました。
これまでの話を聞かせていただいていた時の深谷シェフの顔は、とても穏やかで、まるで子供のような表情で、楽しみながら、料理やこれまでの実践について語られていましたが、この話を始められた時の深谷シェフの顔は、スイッチが切り替わったように、シリアスな表情で、言葉により一層力が入ってきているのを感じました。
こんな話を聞かせていただき、私なりに感じたことをお返しました。
そうすると、深谷さんはこう返してくれました。
「今の話を聞き、森本さんの理解はそんなに間違っていないかもと感じました。もしかしたらそういうことなのかもしれないですね」と。
そんな話をしていたら、気がついたら、あっという間にランチの時間になっていました。
その後、深谷さんは、コックコートに着替え、我々にランチを振舞ってくれました。
食事が終わった後、できれば、今回、話を聞かせてもらいにいったメンバーと深谷さんとで記念写真を撮らせてもらえないかと思っていたのですが、残念なことに、もうランチの営業の後は、バル街に向けての打ち合わせがあるということで、残念ながら、食後の挨拶ができませんでした。
が、もう一度、絶対に行きたいと思っています。
これから取り組んでいきたいこと
今回、深谷シェフのお話を聞かせていただき、本当にたくさんの刺激をいただきました。
ここでは描き切れていないことばかりなので、ぜひ深谷シェフの著書を読んでみていただけたらと思います。
その中でもやはり一番心に残っているのは、深谷シェフから溢れ出ていた現状をなんとかしたいという強い想いです。
結局、何をしようにも、困難はつきものです。
最後には、やりきるための胆力が物を言うのだなということを強く思いました。
「つまるところ、自分は今の世の中を見て、どのような活動をしていきたいと思っているのか?」
という問いは、一生忘れられないものとなりました。
私の最近の教育活動においての中心的なテーマは「冒険心」や「アドベンチャーマインドの醸成」なわけですが、まさにルイス先生と深谷シェフの活動は、それを歴史に残るレベルで高度に体現されてきているのを感じました。
私も、いただいた刺激を大切に、これからも、このアドベンチャーマインドを軸とし、信州嵐のメンバーとも、そして、さらにいろいろな人と関わり合い、響合わせながら、その精神を広げていけたらと思っています。
今日も素晴らしい学びの機会をありがとうございました。