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私について
私について書いてみようと思う。
世田谷生まれ、世田谷育ち、板橋区在住の27歳。
1993年の冬、都心からちょっとだけ離れた町で生まれた。
とても素敵な町だった。
父と母と、兄と姉がいる。
あとは犬が1匹。
私はあまり人に自分から自分のことを話さないから、「兄姉がいる」というと、周囲の人に驚かれることがしばしばある。
4年間一緒に働いてきた人に、退職間際で驚かれた記憶もある。
あとは兄の上にもう一人姉がいた。
けどその姉は私が生まれてくる前に死んでしまった。
昔、その姉のことについて母がとても悲しんでいたことがある。
姉が生きていれば成人を迎える年、もしくはその前年に振袖セールスの電話がかかってきた。
電話をとったのは母で、電話越しに強い声で「あの子はもう死んでます」と怒っていたのを覚えている。
居間でその声を聞いていた私はなんとなくいたたまれなかったし、同じように悲しくなった。
姉が死んでいるという事実より、その事実を他者にほじくり返されている母の姿が悲しかった。
母は姉のことになるとよく怒った。
私が近所の書道教室に通っていた頃。
そこの先生が「あなたは死んだお姉さんの代わりに生まれてきたんだよ」と、私に言ったことがあった。
幼かった私は、姉の遺影を見て「どうして私の写真を飾ってるの?」というほど
姉と顔がそっくりだったので、その言葉を真に受けた。
「だから顔が似てるのか!」
馬鹿正直に母にそのことを話したら
「とんでもない」
と書道の先生に怒っていた。
確かにとんでもない話だ。
幼かった頃は理解できなかったけれど、今ならわかる。
死んでしまったから“代わり”で生まれてきたなんて、生命への冒涜だ。
成長するにつれ、私は母と折り合いがつかなくなることが多く
かなり反抗的な娘に育ってしまった。
けれど、母は母としてとても立派な“お母さん”なのだと思う。
だから大好き。
兄と姉については、そんなに仲良くない。
なぜこんなに仲良くないのか、面白いくらいに自分でもわからない。
ここ数年、姉に関しては10年近く会話をしていない。
反抗期の姉に対して私はすごく憤っていた。
そのことは覚えてる。
反抗期の延長線上を私たち兄妹は歩いている感じ。
でもそんな兄も姉もすでに一児の親。
「あんな人たちでもまっとうに人生を歩んでいるのか」
というのが所感である。
2021年10月の私は
こうして一人暮らしをしている板橋区のマンションでnoteを綴っている。
誰に向けるでもなく、自分の人生を一人で振り返っている。
4年ほど前…大学を卒業してからだろうか?
私の中で“認知の歪み”が生じ始めた。
自分でも全然気づかず「そういう性格なんだ」と思い、過ごしていたけれど
どんどん世界が生きづらくなった。
2年ほど前からその勢いは加速して、人間関係に破滅をもたらす傾向にあった私は、また一つの人間関係を破滅させた。
最近はそのことが心の重りになって
余計に世界が生きづらくなっている。
パーソナリティ障害の傾向があるな、と自分でも節々に感じる。
精神科に行こうと思い、何度も何度もGoogleで病院を探すけれど
口コミの沼にハマって行く気力が失せる。
行ったところで何も変わらないんじゃないか、と。
講談社現代新書から発行されている『パーソナリティ障害とは何か』という
牛島定信氏の著書を読んだことがある。
調べてみれば氏に診察してもらえる病院もあるようだが、口コミを見ると気が遠のく。
でもこういうのは実際に行ってみて、自分自身で確かめなければわからないこと。
ネットの環境が自分を更に生きづらい世界にしているのを、私は余計に感じてしまう。
2021年10月。
父がたまに差し入れを置いて行ってくれるマンションの部屋で、私は一人病んでいる。
過去と対話し、過ぎ去った日々を反芻しては傷ついている。
そしてそれをここに綴っている。
吐き出すことで、文字として自分の心と向き合うことができている。
人を労わることは大切だ。
でも同時に、自分自身を労わることも大切だ。
最近はそのことをよく学んだ。
そんな風にして私は今を生きている。
2022年10月の私はどう生きているだろうか。
たまにそうやって不透明な未来に問いかけて、その答えを感じる日を待ちわびてる。