古關裕而「あの旗を討て」
(古関裕而・写真/Wikipediaより)
今「エール」で話題の古關裕而氏は、戦時中数多くの軍歌を作曲しました。「ああ、あの顔であの声で」(曉に祈る)、「勝ってくるぞと勇ましく」(露營の歌)と歌いながら、若き兵士達は戦場に旅立って行ったのです。彼らは露營の歌詞「瞼に浮かぶ旗の波」の部分を「瞼に浮かぶ母の顔」と変えて歌っていた、といいます。
古關氏は一体、どのような思いで軍歌を書いていたのでしょうか。
「エール」人気に便乗してか、最近古關氏のCDが数多く発売されていますが、その多くは「栄冠は君に輝く」などの応援物、「長崎の鐘」やドラマで取り上げられた「船頭可愛や」などが中心の選曲で、軍歌はほとんど取り上げられる事はありません。
しかし氏の生涯を検証したとき、古關氏創作のピークは間違いなく軍歌の時代だったのではないか、と私は思います。(なお古關氏は軍歌ではなく「軍國歌謡」と呼んでいました)
「露營の歌」、「曉に祈る」、「若鷲の歌」が代表作と言われていますが、実はこの3曲を上回る傑作(と私が勝手に思い込んでいる)があるのです。
それが昭和18年12月に発表された「あの旗を討て」です。
戦局は甚だ芳しからず、曲の中にも悲壮感が漲っています。伊藤久男の歌唱は、歌詞が内在するあらゆる感情を見事に表出し、聴く者の胸を打ちます。
(伊藤久男・写真/Wikipediaより)
実はこの曲から私は、古關氏の戦争に対する「強い疑問」を感ずるのです。
「補給の道は絶え弾も尽きて、残るこの身体…魂込めた肉弾で、あの旗(星条旗)を撃て!あの旗を」という大木敦夫の凄まじい歌詞にも圧倒されますが、古關氏は最後の「あの旗を」の部分を、本来の主音でなく5度上の属音で終わるように書いています。その手法がもたらす劇的効果は例えようがありません。「決して主音に戻る事が出来ない、そう、多くの国民が苦しんでいるこの戦争を、一体いつまで続けるのか! 」と古關氏が叫んでいるように、私には感じられてなりません。
こんな傑作が、その内容や歴史的背景ゆえに今日全く振りかえられる事がないのは、理不尽そのものに思えます。
最近、近くの書店の「エール」コーナーに「古関裕而/戦時下日本の歌」と題された、古關の軍事歌謡ばかり41曲を集めた2枚組CDが置かれているのを発見しました。ほとんど全てが、当時の音源です。大喜びで即購入しました。ところが家に帰ってよく確かめたところ、何と「あの旗を討て」が入っていないではありませんか! 大落胆…
「あの旗」は星条旗を指すため、コロムビアがアメリカに忖度し削除したのでは、などといろいろ推測を巡らしてしまいました。
戦争の時代は古關氏の作曲家人生を描く上で、決して避ける事は出来ません。「エール」で古關氏に少しでも関心を持たれた方に、是非一度「あの旗を撃て」をNetで聴いて頂きたいと思います。
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