「教材制作ディレクター」が基礎造形と出会ったら
桑沢デザイン研究所の基礎造形専攻には、様々な背景をもった方が学びに来ています。基礎造形と出会ったきっかけや、造形課題を通して感じたことなどを、綴ってもらいました。
「教材制作ディレクターである私」について
社会人向けに学びの機会を提供したり、教材を制作したりする仕事をしています。
よりよい学びの経験を生み出すために、教育学や、学びに関わる思想を探求する社内/社外を超えたコミュニティ「ミテラボ」を、中心メンバーの一人として運営しています。
もっと「言葉」以外で世界と関わりたい
大学院で哲学の研究をしていたこともあり、言語や概念ばかりがいつも頭のなかをウヨウヨとしている自分。
何か取りこぼしているものがあるような感覚がいつもありました。
そんなときに出会ったのが、イタリアのレッジョ・エミリア市の教育手法、「レッジョ・エミリア・アプローチ」でした。
幼稚園には、素材と道具で溢れたアトリエがあったり、子ども自身が興味をもったことを探求する活動あったりなどの特徴があります。
私が実際にレッジョ・エミリア市の幼稚園を見に行って、一番印象に残ったのは「モノとの丁寧な関わり」でした。
実際に、私も活動の一部を経験をさせてもらいました。
それは、「いろいろな大きさや色・質感の石、水、そして筆や竹などの道具と、自由に関わってみる」という活動。
水にぬれて変化する石の色。
徐々に石にしみこんでいく水の様子。
水を弾く石もあり、その上でキラキラと光る水。
道具によってできる水の線の緩急……。
夢中になって、あっという間に時間が過ぎていきました。
「もっとこんな経験が、どこかでできないだろうか」
仕事柄、教材を作るうえでデザイナーさんとのやり取りが多いのですが、日ごろから、デザイナーさんに見えているものが自分には見えていないことをひしひしと感じていました。
ある日、ふとそんなことを相談したデザイナーさんが、なんと桑沢デザイン研究所の卒業生!
基礎造形専攻を教えてもらったときには、レッジョ・エミリアでの経験や、日々の感じていた「言葉や概念以外でモノや人と関わりたい」という思いがすべてつながり、「もうこれしかない!!」と思いました。
私にとって基礎造形とは「色々な見方に気がつくための練習」
「私たちは、普段、日々を滞りなく過ごすために、こんなにも色々なことを知らず知らずのうちに捨て去ってしまっているのか」
――そんな驚きに、基礎造形専攻で何度も出会いました。
たとえばデッサン。
当初、私は「デッサンとはモチーフを目で見たままに描くもの」であり、「もともと絵が上手な人だけが描ける特別なもの」だと思い込んでいました。
けれども、実際はそうではなかったのです。
先生が「見たものを、そのまま突然描こうとしないんだよ」とおっしゃったときは、すぐにその意図を理解することができませんでした。
何度か授業を受けて、「自分の目に見えているものは、すでに色々な情報を複合的に処理したあとのものでしかない」こと、「デッサンはその要素をひとつひとつ丁寧に取り上げて、順番に画用紙の上に重ねていくことで出来上がるということ」が、なんとなく分かってきました。
まずは、比率や場所、形、次に光、そして色、質感……。
焦らずに、今自分が見えているもののうち、どの情報に今着目をしているのかを意識しながら進めます。
そして、全体をみたり、個別的な部分をみたりを繰り返し、バランスをとりながらじっくり鉛筆を重ねていきます。
そうしてなんとか出来たのが、こちら。
人生で2回目のデッサン
こちらは人生で4回目のデッサンです
ちなみに、私が自信をもって描ける絵といえば正面を向いて直立している、下の画像のくまさんだけです。
私にはこのくまさんが横を向いていたり、座っていたりする絵を描くことができません。つまり、私は「絵が上手」とはいえない類の人。
正面、直立のみ可。自信をもって描ける唯一の絵
そんな私にしては、デッサンはなかなかそれらしく見えるものになっています(と信じさせてください)。
自分でも驚きました。
上のデッサンはそれぞれ、7.5時間から10時間をかけています。
こんなに長時間、同じ対象に向き合ったのは初めてのことでした。
向き合えば向き合うほど分かるような、分からないような。
親しさと共に、何故かよそよそしさも増していく。
見ても見ても、見えないものが常にある。
「モノの姿は、こんなにも豊かなのか」ということをひしひしと感じました。
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デッサンで扱った牛の頭の骨に、また別の関わり方で出会いなおしたのが、ブラインドコンタードローイング(Blind Contour Drawing)。
これもなかなか衝撃的でした。
牛の頭の骨と向き合っているときの本気さ、真摯さはデッサンの時そのままなのに、ブラインドコンタードローイングで出来上がったのはこちら。
ブラインドコンタードローイングでは、牛頭骨の微細な変化を、まるで密着するように追い続けます。
細かな亀裂や起伏に変化があったら、それに合わせてペンを持った手も同じように動かします。
微細な線を追いかけるペンの進みは、とてもゆっくりで、1秒間で5mmくらいしか進みません。
デッサンは、モノとモノの関係や、モノ自体の中にある要素同士の関係を、視野を狭めたり広げたりしながら、つまり部分と全体を行き来しながら進めましたが、ブラインドコンタードローイングには全体も部分も存在しません。
そこにあるのは、全体像のない断片だけ。
今、その瞬間に向き合っているところ、それぞれのそのままの姿です。
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デッサンでは、対象と向き合えば向き合うほど、まだ見えていない側面があることを知りました。
そして、デッサンもブラインドコンタードローイングも、牛頭骨という、同じモノを扱ったけれど、私の関わり方を変えるだけで、全く別の姿に出会いました。
私にとって基礎造形は、まさに、
「モノと丁寧に関わることで見えてくる豊かな世界を味わう経験」だったのです。
既知性のなかにこそ新規性が眠っているのかも?
私が基礎造形コースでの経験や、先生方からいただいた宝物のひとつは、「新しさへのヒント」です。
たとえば、「これまでと違った新しい考え方を手に入れたい」と思ったとき、以前の私だったら、「今はまだないもの」を先に探そうとしていました。
でも、もしかしたら、まずは「すでにあるもの」と丁寧に関わりなおすことで、それがもつ豊かな世界に気がつき、結果として「新しいもの」が生まれるのかもしれません。
この1年の経験も、いつかもう一度丁寧に見つめなおしてみれば、豊かさが溢れ出てきて、きっとまた別のヒントを私にくれる。
そんな気がします。
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