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バナナミルクを飲んでジャグリング道具づくりを反省する

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> 3行要約 <
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  1. 人は視覚情報中心で生きている

  2. 視覚情報に頼り切ったジャグリング道具づくりしてしまっている

  3. 目の見えない人にどうジャグリングを届ければいいのか


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>  本文  <
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きぞはるです。きぞは工房の代表です。

駅からの帰り道、ふと自動販売機のバナナミルクが目に留まりました。

バナナミルクを買って、缶のフタを開けると中に薄黄色の液体が入っていました。

一口飲むと、口に想像した通りのバナナミルクの味わいが拡がりました。

僕は自分の味覚に自信がありません。

目隠しをしてバナナミルクを飲まされた時に、バナナミルクと判断できるのか?
もし今買ったバナナミルクが水色の液体だったら、バナナミルクとして楽しめたのか?

少なくとも、視覚と味覚を合わせてバナナミルクとして楽しんでいるなと。
味覚だけで僕はこのバナナミルクを楽しめただろうかと考えました。

人間には五感が備わっていますが、特に視覚から得る情報が多いとされます。

さて、僕の作ったジャグリング道具は視覚に頼らずともジャグリング道具として成っているのか。

当然ジャグリング道具の形をしているからジャグリング道具には見えているはずです。

しかしそれは視覚に甘んじてジャグリング道具だとしているだけではないのか?
視覚以外でもきちんとジャグリング道具足りえているのか?
それともジャグリング道具は視覚情報だけでジャグリング道具としてしまっていいのか?
ジャグリング道具の音とは ? 手触りとは? 匂いとは? 味とは?
目の見えない人にとってのジャグリングとは?

僕の新たな自問自答が始まりました。

以上


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