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ミニシアターのおもいで
※クラウドファウンディングプロジェクトへの応援コメントの転載https://motion-gallery.net/projects/naraya123
ミニシアターにはそれぞれの街の記憶が残る。札幌のシアターキノで『誰も知らない』を観たときエンドロールが終わってもしばらく席を立てなかった。スクリーンの向こうの景色と札幌の夜の空気が重なったように感じた。
フォーラム八戸には家族でよく行った。ふらっと立ち寄れる距離にあって気が向いたときに行けるあの場所が好きだった。だからなくなったときは寂しかった。思い出の場所がなくなるとそこに通っていた時間ごと失われてしまう。
札幌で働いていたライブハウスももとはミニシアターだった。音楽の爆音が響くフロアにスクリーンがあったことを想像すると、ミニシアターが持っていた空気は形を変えて残り続けるのかもしれない。
ミニシアターはただ映画を観る場所ではない。世界中の多くの才能に触れ新しい価値観に出会う場でもある。スクリーンの中で生きる誰かの人生を追いながら自分自身の感覚が少しずつ変わっていく。
ミニシアターがあるというのは映画が観られる場所があるというだけの話ではない。自身を見つめたり世界を広げられる場所があるということだ。
ミニシアターはいつもギリギリのところで踏みとどまっている。だからこそなくなってからでは遅い。
シネマディクトがいつまでも続いていくことを祈っています。