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Steve Grossmanという最高のテナーマンがいた

 偉大なテナーサックス 奏者Steve Grossman(スティーブ・グロスマン)氏が8月13日に69歳で亡くなったそうだ。

 米ラジオNPRの報道によれば、持病に起因する心停止だったそうだ。

 私は彼の友人でも、彼を研究するプロミュージシャンや批評家でもない。が、彼の演奏を生で聴いて衝撃を受けたファンの一人として、彼について記しておきたいと思った。

 いくら高級なオーディオ機器を用意しても、CDやレコードが生演奏を完全に再現することはできない。彼の場合は、特にそのギャップが激しい。もう誰も彼の生演奏を聴くことができないのだから、例え私の稚拙な感想であっても、目の前で聴く彼の「音」がいかに素晴らしかったかを書くことは何か意味のあることではないかと考えた。

 8月17日夕以降に彼の訃報が知人同士の伝聞やインターネットで駆け巡ると、Twitterには多くのファンやサックス奏者から哀悼の意や思い出話が投稿された。

 プロサックス奏者の太田剣氏が「全コーラスコピーした」というCD「LIVE at THE SOMEDAY Volume 1」に収録された来日ライブが1987年5月。プロサックス奏者の山田穣氏がシットインした経験を語っているのが、2014年10月に"27年ぶり"の来日ライブとして前回と同じくサムデイで行われたものだ。

 私が見たのは2014年のほうだ。開演前に時間をつぶしていると、地下に続く階段を降りてくるグロスマン氏と居合わせた。63歳(当時)という年齢もあってか背丈は思ったほど高く感じなかったが、骨格はかなりがっしりしていて、一歩一歩に重みがあった。誰かが言っていた「重戦車」という表現が合致した。

 開演直前に彼がバックステージで一音吹くだけで、観客が沸き立ち、会場の空気が変わったのを覚えている。「あの音」がした。私にとって「あの音」というのは、「グロスマンの音」とは違う。当時の私はろくにグロスマン氏のCDなんて聴いたことがなかった。「あの音」というのは、ソニー・ロリンズ氏とか、デクスター・ゴードン氏とか、CDでしか聴いたことのないテナーレジェンドの音を頭の中でミックスさせて、「生で聴いたらこんな感じだろうか」と憧れと想像の世界で膨らませていた「本物の音」だ。

 2020年3月にニューヨークタイムズ紙に掲載されたロリンズ氏の寄稿文「Art Never Dies」を読んだ時、私はグロスマン氏の演奏を思い出さずにはいられなかった。

 "I believe in reincarnation, which means that a person playing music has got a lot of things in his mind that he’s heard already. (中略)Charlie Parker, Dizzy Gillespie, John Coltrane — their styles are ultimately made up of many lives"

 日本語訳に自信がないが、おおむね「私は輪廻を信じる。誰かの演奏は、その人の心の中にある、今まで聴いてきた多くの音楽から成り立っている。(中略)チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、ジョン・コルトレーンーー彼らのスタイルも結局は多くの命から成り立っている」といった感じだろうか。

 グロスマン氏の演奏からは、ジャズジャイアンツ達の“命”を強烈に感じた。彼が傾倒していたジョン・コルトレーン氏、ソニー・ロリンズ氏は言うまでもないが、私はそれともう一人、デクスター・ゴードン氏の命を強く感じた。グロスマン氏のなかに、この3人が“棲んでいる”と感じた。もちろん、そのなかにはレスター・ヤング氏やコールマン・ホーキンス氏など更に先輩世代のサックス奏者の命も含まれているし、聴く人によっては別の音楽家の命を感じると思う。

 彼のなかでこの3人がせめぎ合い、時には8:2:0だったり、時には1:6:3だったり、場面に応じて絶妙な加減でブレンドされていく。「○○っぽい」とか、そういう次元の話ではなかった。グロスマン氏以前にも、ニューヨークから来日した何人もの一流サックスプレイヤーの演奏を聴いたことがあったが、ここまで強烈に、音のなかにジャズの歴史を感じたのは初めてだった。

 グロスマン氏はどちらかといえばプレイヤー、とりわけサックス 奏者に愛されるサックス 奏者だ。その所以は、やはりあの音にあるのではないかと思う。コルトレーン、ロリンズ、デクスター、いずれもサックス 奏者ならほとんどの人が通る道だ。ただ、コピーを熱心にするほど、あの音やニュアンスを作り出す難しさに気付き悩まされる。楽器やマウスピースを疑ってみたり、結局は人種で異なる体格・骨格の問題で片付けてサジを投げたり、それでも諦めずに練習したり…。多くのサックスプレイヤーが目指すが到達できない世界に君臨し、さらにオリジナリティとして昇華させているのがグロスマン氏だ。そこにサックスプレイヤーは憧れるのかもしれない。

 彼の演奏に完全に打ちのめされた私は、1週間行われた公演のうち計3回通うことになった。ただ、2・3回目に見た公演は、1回目と比べるとどうもグロスマン 氏が不調に思われた。鼻をすすっていたし、風邪気味だったのかもしれない。ただでさえ調子に波があると言われるグロスマン氏だ。異国の地で連日連夜、日替わりの邦人バンドメンバーを従えて最高の演奏をするというのは、難しかっただろう。

 1987年の来日ライブを見た人によれば、その時の音の迫力は2014年の比ではなかったそうだ。それは彼の年齢を考慮しても、「LIVE at THE SOMEDAY」のCDを聴いても明らかだ。ただ、どんな名演の録音も、生演奏にはかなわない。2014年の彼の音やプレイスタイルが幾分、穏やかになったとはいえ、濃厚にジャズの匂いをまとったあの音を間近で聴けたことは、幸せなことだ。そして、今は世界中どこに行こうとも彼の生演奏が聴けないことは、とても悲しいことだ。

 ロリンズ氏の「輪廻」の話からいえば、今活躍する多くのジャズミュージシャンのなかにグロスマン氏が生きている。そのうちグロスマン氏の命を強烈に感じさせるプレイヤーが出てくるかもしれないし、今も既に、世界のどこかにいるかもしれない。いつか、その人の音を聴けることを期待して、悲しみを紛らわす。

 録音は生演奏の代替にならないとは思いつつも、YouTubeに数あるグロスマン 氏の演奏動画のなかで、私のお気に入りは以下のものだ。ロシアのTHE HAT BARで行われたセッションとされている。グロスマン氏が吹き始めると変わる会場の空気。そして、いきなりのYardbird Suiteのテーマ。長いが飽きさせないソロ。恍惚の表情を浮かべる現地ミュージシャンと観衆。日本のサムデイでの演奏を思い出させる。

 時に過激すぎたり、時にルーズだったりする彼の演奏は万人受けするものではないので、今年に入り亡くなったリー・コニッツ氏やジミー・コブ氏に比べれば、訃報を意識する人は少ないかもしれない。ただ、グロスマン氏が世界中のジャズファンを魅了し、多くのサックスプレイヤーにとって憧れの存在だったことは紛れもない事実だ。

 Steve Grossmanさん、最高の演奏をありがとうございました。あなたの命は優秀なミュージシャンによって受け継がれていくでしょう。どうか、安らかにお眠りください。

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