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【ソシガヤ格闘記】祖師谷団地はまだ終わらない――1960年代が形づくった土台と新時代への挑戦(イベントレポート前編)

こんにちは。
先日、「祖師谷団地」をテーマにしたWikipediaタウン第2回イベントを開催しました。今回はその様子と、それに至る過程をお届けします。



ウィキペディアタウンとは?

ウィキペディアタウンは、地元を実際に歩きながら、古い資料や文献、住民の方へのインタビューなどから情報を集め、得られた内容をWikipediaの記事として編集・公開する活動です。

普通のガイドツアーや講演会と違い、参加者が自分で「編集者」として動き、街にまつわる出来事や歴史を再発見しながらまとめ直すところが特徴です。信頼できる資料(公式の文献や雑誌など)をもとに、得た情報を正しく整理し、Wikipediaに反映していきます。

これによって、地域に関する情報がより多くの人に届き、新たな視点で街の魅力や歴史を伝えられるようになります。

前回の振り返り

前回のイベントでは、祖師谷の街を取り巻く地理的背景に注目し、とくに仙川防災の歴史について学びました。

祖師谷にある下台(しもだい)西台(にしだい)、根ヶ原(ねがはら)といった地名が、地形に関係して名づけられたことも、地理との深いつながりを示しています。

また、かつての農業河川の関係から、街がどのように形成されてきたのかを改めて考える中で、戦後に入ってからの大規模な住宅開発インフラ整備が祖師谷をどう変えてきたのか、さまざまな発見がありました。


街のアイデンティティを象どる祖師谷団地

今回のテーマは、戦後に誕生した大規模集合住宅である祖師谷団地です。当時「団地族」と呼ばれた新しく移り住んだ人々が増え、祖師谷の街はその影響を大きく受けました。

交通の便が改善されるたびに姿を変えてきた祖師谷の中で、この団地がどのような役割を果たしてきたのか――そこに注目することで、高度経済成長期の住宅政策コミュニティの形成、そして令和に至るまでの街のつながりをより深く理解できると考えました。

祖師谷のまちが変わった転換点

祖師谷全体を見渡すと、3度の大きな変化がありました。

  1. 昭和10年の小田急電鉄開通による駅周辺の発展

  2. 昭和30年代の団地建設による人口急増

  3. 平成17年の高架化による駅周辺や商店街の再編

これらのインフラ(ハード)の変化は、街のコミュニティや住民構成、商業圏のあり方までも塗り替えてきました。さらに現在、祖師谷団地の建て替えが進行しており、街の様相はまた新しい段階へと移ろうとしています。

第四の転換点としての祖師谷住宅建て替え

建て替え計画の概要

第4の転換点として、現在進行形の祖師谷住宅の建て替えがあります。
建替えは、住宅全体を4工区に分けて順次進めていきます。

第1期工区:令和4年から建物の設計に着手し、31~37号棟の解体工事着手は令和6年度予定。新築工事竣工は令和9年を見込む。その後第2期工区に着手し、以降も前工区の工事完了後に次の工区に移行していく。

JKK東京(東京都住宅供給公社)『祖師谷住宅の建替事業について』より引用

建物だけでなく街の暮らしも変わる

昭和30年代に誕生した祖師谷住宅は、高度経済成長期の“新しい住まい方”を象徴する大規模集合住宅でした。しかし、築数十年を経て老朽化耐震・バリアフリー面での課題が顕在化し、再開発が進められています。

この建て替えでは、安全性や快適性を高めるために建物の構造敷地配置を見直すほか、公園や集会施設などの共用スペースを刷新する計画です。これにより若い世代や子育て世帯が増え、コミュニティや街の商業圏、交通ネットワークにも変化が生じるでしょう。

祖師谷婦人のつどいを探る

1960年代に生まれた「団地族」の暮らしや文化が、今どのように変容してきたのか。団地の住環境とともに、そこに暮らす人々のコミュニティ形成を探ることこそ、今回のWikipediaタウンの大きなテーマの一つでした。

婦人会・婦人クラブの役割

祖師谷の共同保育の様子(住宅10(10)より引用)

当時は、日中に家事や育児を担う主婦層が多く、彼女たちは「婦人会」や「婦人クラブ」といったグループを結成し、団地の集会所や近隣施設を活用していました。情報交換や互助活動、趣味のサークルなどを通じて暮らしを豊かにするだけでなく、地域コミュニティのつながりを深める重要な役割を果たしていたのです。地元では「祖師谷婦人のつどい」をはじめ、頻繁にイベントや講習会が開かれ、住民同士の連帯感がいっそう強まっていきました。

さらに、当時の祖師谷住宅では入居時の審査もあって、若い新婚カップルが8割以上を占めていました。共通の背景を持つ世帯が一挙に集まったことで、保育所の設置や麻疹ワクチンの推進など、日常生活に密着した取り組みがスピーディに実現していきます。若い世代ならではの結束力が行政をも巻き込みながら、エネルギッシュな動きを生み出していたといえるでしょう。

歴史の継承と定点観測

今回の調査では、古い資料と最新の行政情報を照合しながら、古写真と現在の景色を重ね合わせることで、当時の女性たちの思い出や日常の工夫がどのように後世へ引き継がれてきたのかを改めて再確認する場面が多くありました。

こうしたコミュニティの歴史は、団地の建て替えが進むこれからの祖師谷にも大きく関わってくるでしょう。新たに流入する若い世代や子育て世帯はもちろん、長く暮らしてきた高齢住民が持つ思い出や生活の知恵が、どのように混じり合い、次の世代へと引き継がれていくのか。

今後も定点観測を続けることで、その変容の過程を「街の進行形の歴史」として記録し、オープンに共有し続けたいと考えています。


次回の【後編】では、当日の参加者とのやりとりや、フィールドワークで見えてきた具体的な風景のエピソード、さらに団地をめぐる現在の課題や未来像などを詳しくご紹介します。

戦後の住宅政策から令和のまちづくりへと至る、祖師谷団地の歩みこれからの展望を、さらに深く掘り下げていきましょう。ぜひお楽しみに。


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