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死にたい株式会社は成り立つの

死にたい!が突如やってきて身動きの取れない朝が来た。
高校の時からやってくる死にたいちゃんと、何度も戦って、逃げて、今日まで生きてきた。朝だろうと夜だろうと急に切りかかって来るから恐ろしい。
そして今日も勝つつもりで、ここにオモイノタケを綴ります。

お布団から動けないので、とりあえずスマホで検索をかける、いつもの流れ。
日本の自殺率は下がっているという記事を目にした。

自殺をしづらくさせてる世の中だから、自殺率が下がっててもおかしくないけど
ふと死にたくなる人は増えてるんじゃないかな。
政府は、自殺率が下がってよかった!と喜んでいるんだろうか。

どんどん死ににくくなっているけど、どんどん死にたくなっている、としたら。どこに逃げ場を作る?

死ななくて済む人が増えるのは良いことだけども、
死にたいけど、家族に、恋人に、社会に、会社に、迷惑だからと言われて、しょうがなく死ねないのは幸せなんだろうか。そんなわけない。
過労死で自殺を選ぶ人は、必ずと言って良いほど遺書に謝罪の言葉を書いているそうだ。
死ぬ時の苦痛と死ねない苦痛、究極の選択。
当たり前の様に死、なんて言葉がよぎる人が増えていることや、1番辛いはずの当人に、ごめんなさいと謝らせていること。なにかがおかしい。

死にたいけど死ねない人が今も沢山いて、なんともない顔をしながらギリギリを走って生きている。
死にたいわけなくて、ただ自分の出来る範囲で生きていたいだけ。でも、世間は「よくできた子」を求めている。
よくできてないけど、疲れちゃったけど、生きていたい、、


死にたいちゃんと戦いながら生きている勇者たちで寄り集まって、株式会社を作ってしまいたい。ってふと思った。
死にたい様な人たちが集まって、株式会社なんて成り立つの?
とも、ちょっと思った。

出来るかどうかはともかく、そういう生きどころがあればいいと思う。
自殺の衝動を寒さを凌ぐ様に抑えあって、温め合って、ちょうどいい距離感で、縛られずに、出来る範囲で生産活動をし、出来る範囲で生きていく様な。
虫がいいかな

とりあえずこれを書いているうちに私の死にたいちゃんは去っていったから、
とりあえず今日をまた生きる。



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