ジュディマリも知らないくせに
憤慨した。
私の何を知っているの?胸ぐらをつかんでそう叫んでやりたかった。
でも今年で34才だし、なんか大人げないなって。ぎりぎり踏み止まった。
何よりここはファッションビルの婦人服売り場。大声を出すことは許されない。店長の私にとってこの店はいわば聖域だ。
その聖域にまだ24才の本社から来たガキンチョ女が、一丁前にアドバイスし、私のプライベートにまで土足で上がり込んできたので、憤りを隠せなかった。
「以後、気をつけます」
そう頭を下げた私が、頭を上げる前にあの山下ももという名のガキンチョ女はスタスタと去っていった。
年下の上司というのはやっかいだ。明らかに人生経験の少ない相手にわかっていることを指摘される。言葉にならない屈辱だ。そんなときいつも私はこう呟く。
「ジュディマリも知らないくせに」
私の判断基準にJUDY AND MARYを知らない世代にとやかく言われたくないというのがある。
あのメロディーに心動かされ、涙し、背中押されてない人に、何も言われたくない。
私の土台はジュディマリによって構築されている。学生時代、そばかすの数を数えてみたり、散歩道で黄色い花冠を作ってみたりした。
憧れすぎてYUKIちゃんの顔に近付こうと何度も髪を切り、染めた。何度となく鏡の前で挫折したもんだ。
それを経験してない世代にはかわいそうとさえ思う。あのメロディーで胸をしめつけられなかった青春時代、何に心揺らされたのだろう。
あの24才の山下ももは、異様に私につっかかる。店長という立場上、仕事の話を私にするのはわかるが、どうでもいい雑談やプライベートなことまで質問してくる。
自分のコミュニケーション能力の高さを見せつけたいのだろうか。そのサンプルにされてる私はいい迷惑だ。
「ジュディマリも知らないくせに」
私が少しイライラしてるのにも、プライベートがいまいち充実していないという理由がある。
彼氏は10才上の44才。本社にいる上司、いわば社内恋愛。44才にして結婚願望は皆無、そういうもんなのか。
私も別に結婚を焦っているわけではないが、この永遠と足をつっこんでられる足湯のようなぬるま湯感に少々疑問が生じてきた。
私たちのこのぬるい社内恋愛も山下がつっかかってくる理由なのかもしれない。
憂鬱だ。2日後、ちょっとした会社の懇親会がある。ソーシャルディスタンスをしっかり保った懇親会。私は懇親会自体にソーシャルディスタンスをとりたいのに。
2日というのはあっという間に過ぎる。あれ以来山下ももには会わず、懇親会で顔を合わす形になる。気まずい。
営業時間を終え、店を閉め、懇親会へ向かう。密を避けるため、貸し切りにしたカラオケつきのバー。店のチョイスセンスは最悪だ。薄暗い店内に間を開けて座る本社の社員と店の従業員が17名。ここまでしてやるものなのか懇親会て。
乾杯もそこそこに、大皿ではなく、一人一人に分けられた気持ち程度のイタリアン。なんか異様な光景。
私の彼は、私の一番遠くの席に座り、目も合わせない。会社の誰もが私たちの関係を知っているのに。
山下ももは私の斜向かいに座っている。なんでこんな近い席。
するとどっからともなく
「カラオケ誰か歌いなよ」
世界一うっとおしいフリが飛んでくる。全員が俯き聞こえないふりするなか、山下ももが曲を選びだした。
ほんとに図太い女だ。24で管理職になれるわけだ。こっちを見てニコッと笑った。
この前のことは忘れたのか。
店中に響くカラオケの音。マイクを握る山下。
あれ。聞き覚えのあるイントロ。
画面には「くじら12号」の文字が。
口をあんぐりとあけて呆気にとられてる私を尻目に、山下はYUKIちゃんばりの美声を放つ。
なんだ、知ってるんじゃん。
そしてうまいなあんた。
自然と笑顔で聞き入っていた私に、間奏に入った山下は音に負けない声で話しかけてきた。
「私、渡邊さんと同い年の姉がいるんです。もう結婚して地元で暮らしてるんですけど、渡邊さんと話してるとお姉ちゃんとしゃべってるみたいで楽しいんです」
人間て単純だ。
お姉ちゃんみたいて慕われただけで、ジュディマリを知っていただけで、山下が妹みたく可愛く思えてくる。
「知ってますか?この歌」
山下はもう一つのマイクを私に差し出した。
「当たり前でしょ」
私はそのマイクを奪うように受け取った。