手をつなぎづらくて嬉しい

「私は中途半端な仲の人をつくってはいけない。だから、最初は安易に友達になろうとしない方がいい。きちんと気が合いそうな人にねらいをさだめて友達になろう」
 大学に入学したばかりの私の考えである。自分の性格と人間関係の築き方からして、中途半端な知り合いが一番やっかいだと思ったのだ。話にきく「大学」は、大変自由な場所だった。そんな場所でわざわざ変な気をつかいたくはない。すれちがうときに挨拶するべきかどきどきしたり、気まずい笑みを交わし合ったりしたくない。考えるだけでおなかが痛い。
 だから、初めての学部オリエンテーションのとき、私は開始時刻ぎりぎりに到着した。私は心配性なので、普段であれば開始時刻のかなり前に到着するだろう。しかし、これは同じ学部の学生たちとの初めての顔合わせ。きっと、「早めに来てみんなの様子を見よう」、「あわよくば友達を作ろう」と考えている者が多いはずだ。でも、同じ学科ならまだしも、学部が同じだけでは、これからの授業がどの程度かぶるかもわからないし、今日少し話して連絡先を交換でもしようものなら、それが四年間の重荷になる可能性だってある。用心せねば。
 私が到着したときには、資料を受け取るスペースに学生はまばらだった。自分の行くべき教室を確認して部屋に入ると、明るい。廊下とは光度が異なる。笑顔、笑顔、笑顔で、朗らかに、親しげに、ういういしく、みずみずしく、会話をしている学生、学生、学生。コピー&ペーストしまくったように、教室中がそんな明るさで満ちみちていた。くらくらする。席は自由で、でも、ほぼ埋まっていて、からっぽの最前列に座った。二列目も少し空いていたけれど、そこに座ったら近くの人と仲良くならなければいけない。嫌だ。今ここでする一瞬の愛想笑いが、この先四年間の私を苦しめることになるかもしれぬ。教室内をちらりと見まわす。無理してない? 大丈夫? 実は乗り気じゃないけど、仕方なく近くの子と話してる人もいるよねぇ? それともみんな、早く友達が欲しいのか。
 最前列には私のみで、すぐにオリエンテーションが始まり、この日は話をきくだけだったので気楽におわった。
 終了後も、みんなそれぞれ似たような空気感で、今日の資料の内容や今後の流れを確認し合ったり、少しずつ丁寧語をほどき始めたりしているようであった。私はひとりで、今日唯一の予定を無事こなし終えたことに安堵しながら、群れに混ざって帰ろうとした。慣れない場所は疲れる。
 そこで、声をかけられた。
「何コースですか?」
 正直、最初にそうきかれたのだったかどうかは思い出せないけれど、彼女と私は同じコースだった。建物を出るまでに少しだけ話して、LINEでつながった。建物の前で手を振って、じゃあまた、と言ったときの感覚をなんとなく覚えている。帰宅してすぐに私は、健康診断についてよくわからない点があることに気がつき、焦った。彼女に早速LINEした。こたえはすぐに返ってきた。そのことを訊けるのは私にとって彼女しかおらず、危ないところであった。みんなが友達を作って連絡先を交換する意味に思い至る。みんな賢いなぁ。
 結局、彼女が大学に入って初めての友達になったし、最終的に私にとっては珍しく、かなり心を許せる相手になった。
 ある程度仲良くなってからだったか、彼女は「あのオリエンテーションの日、私もぎりぎりの時間に着いた。最前列はあいてたけど、そこに一人で座る勇気はなかったし、少し後ろに座っちゃったら、その後すぐさやかが来て一人で座ってたから、私もそうすればよかったって思ったよ」と言っていた。だからこそ私に声をかけたとも言っていた気がする。そんなこともあるんだ。
 私から見た彼女は軽やかでおしゃれで可愛らしく、いろんな人と話して、いろんな挑戦をして、自分の世界を広げていったし、いろいろと悩んだり立ち止まったりしながらも自分の生き方ときちんと向き合って少しずつ進んでいたし。そんな人だから、私の存在は彼女の中では小さいかもしれない。しかし、彼女とすごした時間や交わした会話たちは、私のなかにはとても色濃く残っている。
 夜道をふたりで歩きながら話していたとき、彼女に「さやかは理性で恋をしようとしている」と指摘されたことがある。どんな話の流れだったのか細かくは思い出せないのだが、そんな風に言われてしまうと、なんだか自分がとてもつまらない人間であるように感じられて、私は少し不満だった。否定はできないけど、でも、みんなそんな感じじゃないの? しかし、その後の話の流れで彼女は、
「背の高い男の人と手をつなごうとするでしょ? そうすると、手がつなぎづらいの。手がつなぎづらくて、それが嬉しい」
と、歌うように語った。衝撃を受けた。手をつなぎづらいことが嬉しい。恋のために積んでいるエンジンが違う、という感じがした。見せつけられた感じがした。彼女はかなりむちゃな恋ばかりしていて、心配もさせられたが、その勢いにはひそかに憧れていた。
 一緒に授業の発表をしたり、教育実習を乗り越えたり、深夜に冷凍餃子を食べたり、となり同士でひたすら黙って読書をしたりした。大学三年生の時には私の悪いところを率直に指摘されて、大学四年生のおわりにそのときのことを謝られた。
 あのとき、一番最初に声をかけてくれたのが彼女でよかった。
 あの春の私のスタンスも間違いではなかったのだ、と断言しておく。

 そういえば。
 中学で一番初めの友達は、名前の順で席が前後だったため、入学式のときに名札の付け方を確認しあったことがきっかけで仲良くなった。
 その子が最近、結婚をした。
 先日久しぶりに会い、お酒を飲み、いろいろと話し、はしゃぎ、解散した帰り道。私は一人で歩きながら、ああ、もう私たちの名前を並べても前後にはならないのだな、と少しだけ淋しく思った。

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