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朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』

⌇朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』2019年 中央公論新社⌇

◎2019年3月に書いた文章です。当時まだ鍵のinstagramアカウントで思いつくまま打ったものなので少し読みづらいですがそのままです。『どうしても生きてる』『スター』『正欲』に出会う前……。もう一度読んでまた感想書きたいな。


人には他者との摩擦によって自分の存在を確かめる必要があるのかもしれない。
避けようとすれば避けられるのに、わざわざぶつかり合って摩擦を起こすことは野蛮だろうか。
いや、ぶつからないすれすれのところから自分という存在の形を一生懸命察して、察しようとしてそのことだけに神経を使い果たしてしまうくらいならばいっそ、ぶつかってしまった方が健全だろう。
世の中から対立や順位づけがなくなっていき、多様性が認められて、自由になったような気になっているけど、結局は自己の評価のものさしが他者から自分に変わってしまったということだから、ある意味ではより苦しさ辛さがある。
多様性が認められていなければ、自分の劣等感も世界のせいにしてしまえる。
この自分を認めてくれない世界が悪いんだ。
でもいろんな生き方、価値観が認められているために、じゃあ自分はその中のどこにいるんだろう、自分の立ち位置は世間でいうとどのくらいなんだろう、自分の生きている価値はどこにあるんだろう、ということを自ら探る必要がでてきた。
「オンリーワンを目指す」ことが手垢のついた行為になっておりすでに全然オンリーワンではない。
ナンバーワンを目指す辛さは他者との対峙からくるものだ。オンリーワンを目指す辛さももちろん他者との関わりというのもあるものの、結局はいかに自分から新たな物を生み出したりオリジナリティを出したりできるかという自己との対峙からくるものでありさらに嫌な辛さである。
わりきれない。あきらめがつかない。
理不尽だけど世の中から自分の生きやすさを定められていた平成以前の方がいっそ清々しかったのでは。
でもそれはすべて幸せな立場の人間の意見なのかもね。
あと集団の中にもグラデーションがあること、忘れないようにしたい。グラデーション、たしかに、すごく感じる時がある。



2019/3/23


新宿の紀伊國屋書店でのサイン会に参加することができました。


手紙を渡せて、はじめて握手もできました。
過去にイベントでお話しさせていただいたことがあったのですが(2018年秋)、名前に見覚えがあったからか「いつもありがとうございます」といってくださいました。「この前〇〇ではありがとうございました」とイベントのことを少し切り出したところすぐに思い出してくださったようで感動……。

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