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「バズる」は結果もしくは手段であって、目的ではない

「バズる」って言葉、この数年で一気に広まったと思います。
Twitterでツイートが何万リツイート。
YouTubeで動画が何百万回再生。
そうしたサービスの発展に伴い、「インフルエンサーや広告を発信する人はバズってなんぼでしょ」の時代にあると言えます。

印象に残ってるのだと、
DJ社長のやらせのセクハラ騒動の件とか、タイツメーカーのアツギさんがタイツを履いた性的なイラストを公式Twitterで投稿した件とか。
バズるツイートをするコツとかもシェアされてたりしますよね。

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「バズる」ことを真っ向から否定する訳ではないですが、どうも「バズり至上主義」には違和感を感じます。
中身のないバズというか、長期的な視点で見ればマイナスになるバズの視点を持つべきだなあと。

「バズる」ことはあくまで結果または手段であるべきで、目的になると危ういというのが
この記事で言いたいことです。


バズバズ言いすぎましたが、こっからもバズバズ言います。

そもそも、「バズる」ことを目指すのは自然なことで、
一般人が有名になるにはまず知ってもらう必要があるし、企業が広告する時も、どれだけいいことを言っていても多くの人に届かなければ意味がない。web広告のKPIが再生回数やリツイート数で定められることも不思議ではないと思います。
受け手が引っかかる発信じゃないと意味がない、これも同意です。
情報過多の時代においては特にそうです。


なので皆ちょっとでも目立とう、引っ掛かりをつくろうとあれやこれや工夫を凝らします。際どい発言をして炎上したり、コンテンツとして強いエロを使うのは、とりあえず目立つ、引っ掛かりをつくるためには一つの正解でしょう。ただ簡単な解です。


「バズる」ことが目的になっていないか一歩引いて見るべきだと思います。
大目的は、多くの人に自分という人や商品の魅力を伝えたいということであって、そのために広告する、その中で、手段としてバズることが考えられるという順のはずです。
または、受け手にとって価値のある存在であることで、結果バズるという考えもできます。

いつの間にか手段・結果と目的がごっちゃになって「バズる」ことを目的とすると、とにかく尖ったことをすることで頭がいっぱいになってしまう。芯を喰ってないし長期的に価値になるものにならない。
一回バズって購入者が増えたとしても、長期的にそのブランドのファンになることはないでしょう。

例えば、彼女や彼氏が欲しい人がいたとしましょう。いっぱいいるでしょう。
この場合この人の目的は「魅力的な人間になって素敵な彼女・彼氏を捕まえる」ことのはず。数多くの人とSEXすることではないはず。
そのための手段として、色々な人と出会い、自分の考え方や当たり前を見直すことで自分を磨くことは一理あるでしょう。
ただ人間はモテなさすぎる状況に置かれると得てしてマッチングアプリを始めます。そして、無駄にSEXの経験だけ積みます。
「色々な人と出会い、SEXすること」が目的となり、本来目的であるはずだった「魅力的な人間になって素敵な彼女・彼氏を捕まえる」は達成できずじまいです。
短期的にはプラスに働くかもしれませんが、長期的にその人の価値を高めることには恐らくつながりません。 みたいなことです。


広告もデータで分析することが当たり前になりましたが、こういう中がからっぽな「バズり」というのはなかなかデータだけでは捉えづらい。
多くの人に見られたならいいじゃんと。

webサービスで、退会手続きをわかりづらいところに置いているのはよくありますが、そんなサービスのファンにならないですよね。
ただデータで見れば、一時的に退会者を防ぐ施策として有効じゃんとなっちゃう訳です。



ウサギとカメじゃないですが、短期的な結果にこだわりすぎるとどうしても大事なものを見失ってしまう。
本当にいいものを作った結果バズる、本当にいいものを意味のある形でバズらせることをモットーに仕事に取り組みたいなあと思った次第です。

「広告」って熟語、『広く告げる』という意味ですが、
この時代に置いてはあまり的を得ていない表現かもですね。


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