一生懸命働く自分に満足してしまっていないか
最近どうも仕事のモチベーションが上がってこない。
まあ、もともとストイックな人間でもないけど。
勉強もサッカーも中途半端なところで止めてしまったように思う。
あまりにも自分よりできるやつが多くて、限界を感じてしまったのかもしれない。
いや、サッカーはそんなことを言うレベルでもなかった。
仕事はこれまでなんでも受けてきたし、がむしゃらに取り組んできた。
ブーブー文句を言いながらも、朝4時まで働くことはそこまで苦痛ではなかったのだと思う。
積極的に取り組む姿勢とそれなりの結果で、評価はついてきたりする。
一生懸命働くことで、「自分頑張ってる」っていう満足感もあるし。
「若手の間はとにかくゴリゴリやる」
酔った先輩はよく言うし、自分も納得はしている。
この会社はなんだかんだ仕事に真面目で上昇志向の高い人が多い気はする。
気がするだけかもしれない。
ただ、その仕事って本当に自分しかできない仕事なのか?
将来自分がどういう人間になっていくのかが見えない。
これを甘えという人もいるのかもしれない。
でも、今の正直な気持ち。上司には酔っても言えないけど。
そもそも自分の仕事のモチベーションは2つで、
「人より良い結果を出せる」という『プライド』と、
「なんでもないやつだな」と思われることへの『恐れ』。
しょうもない自尊心をエンジンに、とびぬけた才能のない自分に目を向けないように、必死に走っていた。
まあなんだかんだ99%以上の人は、20代のうちに
自分がなにの天才でもないことに気づくと思う。
自分がなにの天才でもないことに向き合えたタイミングが、何を仕事のモチベーションとするか考え時かもしれない。
頑張っている自分への自己満足とか、上司からの評価とかは小さい。
就活で自分の仕事に対するモチベーションや夢を聞かれたけど、SHOWROOMの前田裕二さんみたいな強烈な原体験がない、世の中のほとんどの人は答えられるわけないと思う。
あれはマジで茶番。働いたことないのに答えられるわけないやろと。
全然内容忘れちゃったけど、
「仕事にこだわりのある人は強い」
みたいなツイートを見て納得した記憶がある。
自分なりに解釈すると、仕事に『こだわり』を持つ人は何か『大義』をもっているはず。決して近視眼的に仕事をしていない。
今の広告業界で、『パーパス』はちょっとした流行語。
「そのブランドはなぜ世の中に存在しているのか、世の中にどういう価値を提供するべきなのか」といったパーパスに根差した活動・広告を行っているブランドはやはり強い。
人はそのパーパスに共感してものを買う時代になりつつある。
パンテーンのHairWeGoとかはまさにこれで、
シャンプーなんかほとんどもう機能差ないし、機能が、人がそのブランドのファンになる理由にはなりづらい。
だからこういう「髪に対する社会の固定概念に疑問を感じ、自由な自分でありたいと思う人を支えるブランドである」というパーパスを掲げた活動をする。
髪がまとまるとかばっかり言われるより「このブランドのファンになってもいいかな」と思うでしょ。
この『パーパス』っていうのが、さっき言った『大義』に近い気はしていて。「自分がなんで世の中に存在しているのか」まで考えちゃうと沼にはまりそうだから考えないけど。
近視眼的で本質的でない思いで動くものは長くはもたない。
幸い広告の仕事は好きだし、自分の頭の使い方にあっている気がする。
なんでもない人間として人生を終えることへの恐れは人一倍強い。
どうせなら自分が生きた証を残したいと思う。
どう残すか、何で残すかはこれからゆっくり考えたい。
あんまりなんも解決してないけど、ちょっとやる気でてきた。
もやっとしたときは言語化することが大事ってなんかの本で読んだ。
明日は酒を飲もう。