背伸びしていくお店
若い人はご存知ないかも知れないが、むかし広尾に「羽澤ガーデン」というレストランがあった。
大正時代に建てられたという古い日本家屋と青い芝が綺麗な大きな庭園。
当時、深夜まで働いていたぼくは週に1.2回はそのレストランに足を運んだ。
竹林を抜けると大きな松明の火が灯された屋敷が見えてきて、靴のままそこに上がると店内は真っ暗で辛うじて足元が見える程度だった。
板が張られた床はギシギシと音を立てる。
イタリアンレストランと、たしか鮨屋のカウンターがあった。
シガーバーも併設されていて、20歳そこそこのぼくは月に1度くらいはそこで味もわからないくせに飲めもしないブランデーとシガーを楽しんだ。
普段はイタリアンで軽く食事をして帰る。
金がなかったから女性をデートに誘うなんてこともできずに、よく一人でカッコつけてこの店に訪れた。
まあ、金はないから大したものは食えない。
時を同じくして、麻布十番に23時間営業の「AZABU HAUS」というイタリアンレストランがあった。
こちらも当時のぼくには背伸びして訪れるようなお店で(今の若い人たちは当たり前のように名店に通っていてすごいなあと思う)、月に何度か訪れた。
ぼくみたいな早朝から深夜まで働く者にとってのライフラインであったし、非日常を感じさせてくれる場所だった。
23時間営業だから、深夜まで料理やシガーを楽しめる荘厳な雰囲気を持つ羽澤ガーデンと同じく、いわゆる業界人が集まっていた。
ぼくは、まあ単なる飲食店の皿運びで箸にも棒にもかからないような男だったのだけれど、その店では時の女優さんややり手青年実業家、あとはキー局の有名女子アナウンサーなどの姿が良く見かけられた。
伝説のサービスマンと言われた城倉さんがオーナーで、彼はいつもお店に立っていた。
この人は一体いつ寝ているんだろうと、激務で泣き言ばかり言っていたぼくは、彼の凛とした佇まいを見ると、少し心が軽くなった。
今思えばここもそんなに高級なお店ではなくて、飲んで食べて1万円程度だったように思う。
(まあ、繰り返しになるけれど貧乏だったからめちゃくちゃ背伸びしていた)
でも背伸びしていくお店にはかならず、カッコいいサービマンや心温まるサービスをするマダムがいた。
いまのレストランシーンにおいては名店はカウンターに大将が立ち、料理をしながら接客も行う。
場を和ませてお酒を勧めるのも、料理をより美味しそうに説明するのも大将自身だ。
サービマンの仕事は少ないし、名店の名サービスマンの存在というのはとんと聞かなくなった。
それは、東京のレストランシーンが名店と言われる高級店と、腹一杯にお腹を満たす旨いもの屋さんいわゆる「飯屋」とに二極化しているからではないだろうか。
ぼくが若い頃足繁く通っていたお店は、そのどちらでもない。
そして、そういうお店はすごく減ったし今の時代は苦戦を強いられているように思う。
いつでも行けて、そこそこ旨いものが食べられる。
お洒落な店員さんとかっこいいお客さん、綺麗なお姉さんで溢れていて、そこに行くだけで何者かになれたような気がする、そんなお店だ。
これからはそんなお店がまた必要とされるのではないだろうか。
コミュニティという言葉がよく聞かれるようになったけれど、レストランはコミュニティのハブとなる物理的な場所でもあるのだと思う。
我々サービスマンや飲食店経営者の責任は重い。そして遊んで遊んで、ステキな居場所を作ってあげたいと思う。
みんなが背伸びしてくるような場所、心の拠り所となる場所。
まあ、料理は美味しいに越したことはないけれど、あそこに行くと誰かに会えるよねって場所。
この時代、今の厳しい環境において飲食店の存在意義を考えるよね。ぼくたちの仕事って何なのだろうかということも、よく考えるようになった。
今は、、どこかなあ、、そんなお店あるかな?
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