ネコゴコロとヒトゴコロ その6
猫の手を借りる
「猫の手も借りたい」という慣用句があります。ものぐさな猫の手さえ借りたいぐらいに忙しいときに使う言葉ですね。
犬なら、名前を呼べばすっ飛んできますし、「お手」と言えば前脚をこちらの手に乗せてくれます。気の利いた犬なら新聞紙だって運んできてくれる。なのに猫ときたら、名前を呼んでも気が乗らないと知らんぷりされるのがオチ。塩対応が当たり前。猫に対する期待値が元々低いので、呼んでたまに生返事をしてくれるだけで飼い主の心はとろけちゃう。
ですから、猫好きの人はよくこんなことを言います。
「猫は何もしてくれなくていいんです。そこにいてくれるだけで、疲れた私たちを癒してくれるんですから」
でも、時には相手の手を借りるほうがいい場合もあります。特に、相手との心の距離を縮めたいときはなおさらです。
なぜ手を借りるほうがいいのかといえば、人は自己を正当化したがる生き物だから。
自分がこれだけ手を貸したのは、相手が手を貸すに値する人だったからだと思い込もうとする傾向があるのです。
そんな心理を『合理化』といいますが、人は「嫌いな人の手伝いをするわけがないよね。ってことは、私って意外とこの人のことが好きなのかも?」と、自分なりの理屈をつけて自らの行動を正当化しようとするのです。
世話の焼ける恋人とつき合っている女性が、「この人は私がいないとダメなのよね」とため息をつきつつも、その恋に夢中になっていくのも『合理化』の心理が働いている可能性大。
つまり、手伝うことで相手を好ましく思う気持ちが生まれてしまうということ。
しかも、人には「自分のできる範囲であるなら、誰かのために何かをしてあげるのは厭わないし、してあげられたら自己満足もできて嬉しい」という援助欲求もあるので、人に頼られるのは嫌いではないのです。
今までの自分を振り返ってみて、人に頼るのは申し訳ないし相手に迷惑だからと何事も自分でこなしてきた人は、その分だけ人に好かれるチャンスを棒に振ってきたのかも。特に、猫派の人は相手に対する期待値が低いので、その傾向があります。
人との心の距離を縮めたいのであれば、時には勇気を持ってこういってみましょう。
「ちょっと手伝ってくれると助かるんだけどな」