愉しいのにスキなのに落語は、なぜ眠ってしまうのか。

よく噺家さんが言ってます。わざわざ木戸銭(入場料)を払って、寄席に来てまで、なぜ寝てるのか。ただでさえ、お客の少ない平日の昼間に。10人お客がいたら3人は寝てる。みたいなマクラをよく聴きます。
聴きたくないから、寝てやろうとか思ってるわけじゃないです。
会場は暗転でもないのに、つい、ウトウトしてしまうのです。

なぜ、好きな落語を聴いているのに、眠ってしまうのか?

友人がこんなコトを言ってました。
「上手な噺家さんでないと眠れない。落語のリズムが、よくないと眠れない。」
なるほど。そうかも。


睡眠などに効果的な「モーツァルト効果」というものではと思う。

人間が外界から受け取る情報のうち8割は視覚情報といわれています。ところが眠るために目を閉じると「感覚遮断」が起き、それまで視覚情報処理に費やされていた分が思考に集中して、頭が冴えわたってしまうのです。
それを防ぐには、「音」による新たな刺激を与えるのが一番です。特にモーツァルトのような美しく穏やかな音楽を聴けば、心身共にリラックスして穏やかな眠りにつくことができます。
モーツァルトに限らず、好きな音楽により脳内の神経伝達物質のドーパミンなどが分泌され、その働きで幸福感が増すからです。


「モーツァルト効果」から考えると、落語で眠ってしまう理由はこんな感じ。
・落語は聴き手の想像力を必要とする芸なので、聴いていると、目を閉じるのと同じような「感覚遮断」の状態になる。
・思考(噺)に集中して、頭が冴えてくる。
・落語の心地よいリズムで、幸福感が増し、心身ともにリラックスする。
・その結果、眠ってしまう。


「唄い調子」って誉め言葉が存在したぐらい、らしいです。テンポがいいとか、リズムがいいっていう意味です。


落語は、リズムとメロディの追求で、歌的になっていく。物語が音楽に接近していく。
そういう魅力があるというのは、言語化してみて、ほんの少しだけ気づけました。
音楽と同じように、落語もいろいろジャンル分けしてみてもいいかも。
ワタシの中で、落語はJAZZに近いです。

「落語はJAZZである」って今度考えてみようっと。


そうそう。
一之輔さんの「柳田格之進」を聴いてるとき、隣の友人が途中で舟を漕いでいたことがあります。前では格之進、横では船徳かよwってのも、ステキな想い出です。
幸福感に包まれていたんだろうなー(疲れてるだけかw)

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