【短編小説】 私を羽織る
【本文】
眩しい。玄関の扉を開けてまず脳裏に浮かぶ。っと、こんな感覚なのか。
玄関前には緑の葉が地面に散らばっていた。記憶だと枯れた茶色い葉だった気がする。葉が風に揺られ、転がり、アパートの隅にパラパラと広がっていく。風景の一つ一つがはっきりと目に入る。きっと、いつもより頭の中がスッキリしているせいだろう。まるで自分の一部が幽霊のように抜け出て、後ろからついてくる感覚。それでも心地よい。
その感覚を纏って、アパートを後にする。
なるべくいつも通る道を選んで歩いた。電信柱を見上げると、動物医院の看板が目に入る。こんな住宅街の中でもそんな場所があるのかと驚いた。そういえば犬の散歩している人をよく見かける。きっとペットを飼っている人がここら辺には多いのだろう。
横断歩道の前で立ち止まり、なんとなく向こうの道をじっと見つめる。細い路地だ。少し長めの散歩でもしようと青信号になった後、そちらに足をむけた。
同時に私を纏う、このもう一人の私が生まれたきっかけを思い返す。
別に何か特別な出来事があったわけではない。でも、きっと、気づいたきっかけはあの時。あの日から私は日常に鈍感になっていたのだと思う。
違和感の始まりは、朝食の食パンが家になかったことだ。「あ、買い忘れた」と思って、その日は朝食を食べずに過ごした。次の日も、その次の日も、なぜだか食パンを買いには行かなかった。毎日食べていた朝食を食べないことに、特に何も違和感を感じないことが違和感として染み付いた。
その違和感だけか鈍くなった感情をはっきりと知覚させる。なんだか「調子悪いな」とだけ思うことが多くなった。
仕事はリモートワークで、上がってくるWebサイトのデザインをしている。クライアントのコンセプトに合わせ、情報を整理して、それぞれのページを形作る。内容は楽しく、気に入っていた。会社の人たちも良い人ばかりだ。
特に日常に不満も不幸もなかった。嫌なことなど感じることもない。それと同じく、良いことも感じることが疎くなっていると気づいた。日常は変わらないのに、感じ取れることが少しずつ減っていくことにただ怖くなった。
その理由が見つからないことが、よりいっそう不気味だった。
そんな頃だ。地元の友人達と久しぶりに会い、居酒屋で互いに仕事の愚痴だとか、結婚だとか、20代後半によくある話題を喋った。話しながら、ふと、この前のあの不安についてみんなは感じたことがないか、聞いてみたくなった。
話が落ち着いた頃、相談しようとした時、友人のレイコがふと深刻そうな顔で口を開いた。
「私、実は仕事を休職してて。上司との折り合いがつかなくて……」
「え、そうなの?」「気をつかえなくてごめんね」「体調は大丈夫?」
私も含め、周りのみんなが条件反射のように心配の言葉を発した。
「ごめんね。でも、ナナはすごいよね。大企業から独立、今はフリーランスのデザイナーってすごいなー。ものを作る人はすごいよ」
突然レイコがこちらに話を振ったため私は戸惑った。周りの友人たちも、「そうそう」と条件反射で言葉が重ねる。
「そんなことないよ。私なんて全然すごくない。レイコはしっかり休むんだよ。転職とかも考えるかもだけで、まずはしっかり休まなきゃ」
心の底から出た心配の言葉のはずなのに、口の端に、理由があって羨ましい、という情動がこびりついてしまっていた。それがたまらなく、嫌だった。それが久しぶりに感じた強い情動ということも。
その日からより一層、私は日常に鈍感になっていった。日常は当たり障りなく過ぎ、時間の流れも曖昧になっていく。仕事の進捗だけが、曜日の違いを認識できる唯一の目印となっていた。
「ショップページの修正点については資料にまとめましたので、ご確認お願いします!」
「承知しました! あ、トップページのデザインはこちらになります! よろしくお願いします!」
「ナナさん、いつも仕事早くて助かります!」
同僚からの優しいチャットに対して、無条件につける感嘆符の数だけ空っぽな日常に罪悪感が堆積していく。良き同僚たちにも今の不安は伝えられなかった。
このままだと何かが崩れる気がして、ある時大好きだった映画を見たりもした。何度も定期的に観ている、中世が舞台のミュージカル映画。ソファにもたれてじっと鑑賞する。心が反応するのを待つ。好きだった歌のシーンが画面に映る。それを何度も巻き戻しては再生する。それでも目に映る映像は、まるで透明な私の体をすり抜けていくように、なだらかに胸の中を過ぎ去っていく。
喪失感のようなものが感じられればまだ良かった。ただ、「もう寝る時間だな」と、いつもと変わらない言葉を頭が発するだけだった。
日常に鈍くなっても生活はなんてことなく続く。続けられた。だから、私はもうそのまま生活を続けるのが難しいと思ってしまったのかもしれない。
次の週末、勇気を出して近くの病院の心療内科に行ってみた。
「うまく言えないんですが、ただ、自分の感情が鈍感になっているような感覚なんです。どんなことにも反応がないような。自分が機械になってしまったような感覚で……」
病という敵と戦う人たちに紛れ、ありもしない敵に怯える私は場違いに感じた。そんな居辛さに怯えながらも、それでも私はなんとか状況を説明した。
「そうですね。では、"ハゴロモ・プログラム"を受けてみるのはどうでしょうか?」
担当してくれた医師の宇佐美さんは、私を優しい目でじっと見つめてそう言った。彼女は手元のタブレットを操作し、ゆっくり私にも理解できるように話してくれた。
「一日体験型のセラピーみたいなものです。専用の装置をつけて、できるだけいつもの一日を過ごしてもらいます。"ハゴロモ"というのは、脳波の解析・フィードバックするデバイスで、脳内に発生した心の動きを識別して、それを逆に自分の脳の知覚に外側から伝達する。それによって、自分の知覚を客観視できる、というものです」
「え、それって、機械に自分の感覚を委ねるようなものでしょうか?」
むしろ、それでは今の私の状態とさして変わらないのではないか。
「いえいえ。自分自身の感覚がなくなるわけではありません。自分の無意識の心の動きを、機械を通してあなたに感覚として付き添ってもらう。そうですね、自分と似た人が、ずっとそばで寄り添ってくれるような感覚とでもいいましょうか」
「自分と似た人が寄り添ってくれる……」
「主にナナさんのような方だったり、逆に自分の感情に囚われて日常生活が困難な方や、自分の本当の気持ちを知りたい、という人が客観的に自分を知ることに使っているんです。受診するための検査も簡単ですし、最近も受けられる方は多くなって来ているんですよ」
なので、一回挑戦してみるのはどうですか?、と宇佐美さんは言った。正直、怖い気持ちもあったけれど、たった一日だけなら、と思い、そのプログラムに参加してみることにした。
簡単な問診と脳の検査をその場で受け、専用の装置を受け取った。耳の辺りが丸く開いた小さなヘッドフォンのような形。側面が温かみあるオレンジ色にぼんやりと光っている。
セラピーは明日これを一日被って生活するだけですので、とのことだった。
診察室を後にする時、「ナナさん」と宇佐美さんが私を呼んだ。
「いつでもここにいます」
「え?」
最初、彼女の発した言葉の意味がわからなかった。
「いつでもここにいます。プログラムが終わっても、私はここにいますから、安心してください」
ではまた来週来てください、と宇佐美さんは手を振ってくれた。
心強さを彼女から感じ、私も小さく手をふり返した。
頭に被った、ハゴロモと呼ばれているデバイスに触れる。冬の季節用のカバーらしく、耳に当たる部分がイヤーマフのようにもこもこしている。オシャレな小物みたい。生活に馴染むように、見た目にも配慮してくれているのかもしれない。
さっきの路地を進んだ道を進むと、幼稚園だろうか、子どもたちの高い声が耳に入った。青い錆びた門の先で子供達が走り回っている。中心で先生のような大人の女性が、園内にある時計を指差していた。
12時近くになっている。もうそんな時間か。
「そろそろお昼にしようか」
自分自身に語りかけるように声に出す。思ったより恥ずかしいのがまたおかしかった。
昼食の場所をどこにしようかと思い、道をぶらぶらと歩く。さっき来た路地を直進し、大通りに出て、何度か行っているファミレスに行こう。と思った矢先、自分の中の情動に引っ張られる。
心だけが先走ってどんどんと私を置いていこうとする感覚。自分の半身だけが伸び、体と心が引っ張られるような妙な感覚に私の体は自然と吸い寄せられる。
大通りを外れて、またも路地に進みながら、なぜか私は焦っていた。また、この感情を私は見失ってしまうかもしれない。また私は情動に対して鈍感になってしまうのかと焦り、それを必死に追った。
感情に引っ張られ向かった先は、小さなカフェだった。今の家に引っ越して来た時、最寄り駅周辺を散策していた時に見つけたお店。個人の住宅の一階を改装してお店にしたような、隠れ家のようなお店だ。庭には一つ、古い木目のテーブルと椅子のテラス席がある。まるでここに座れと言わんばかりに、そこになぜか心が居座っているような気がする。
数分駆けただけだが、日中座りっぱなしの私にとっては重労働だった。もう足が疲れて座りたくてしょうがない。いや、誰のせいだと思ってるんだ。
私は木製の大きな扉を開け、店内に入った。「いらっしゃいませ」と言う店員さんに外のテラス席を指差し、居座る心に従い腰を下ろす。
住宅街の中ではあるが、よく手入れされた背の高い植物や花に囲まれたこの場所はなぜだか現実世界の中に現れた異世界のようにも見えた。席の上に置かれた、調度品。見ると砂糖が入った瓶もアンティーク調の色合いで、自分好みだった。
まだ何も注文していないと言うのに、私はすでにこのお店が好きになりつつあった。気になっていたけれどずっと忘れていた。さすが私の情動だ。私のことをよくわかっている。
昼食を食べに来たことを思い出して、私はメニューからランチセットのクロワッサンサンドのセットを注文した。
先に入れたてのコーヒーが運ばれて来たので、マグカップを口に運ぶ。仕事中もよくコーヒーは飲むが、いつもはカプセル型のインスタントのものばかりだ。それに比べ、淹れてもらったコーヒーの美味しさは何倍も苦さが違う。
コーヒーを堪能していると、クロワッサンサンドが運ばれてきた。パリッと焼き上がったクロワッサンにベーコンと卵やレタスが挟まれている。それを私は一気にほおばった。ジュワッとベーコンの汁が口の中に広がり、パリッとした食感がそれを包み込んでいく。止まらず私は咀嚼して味わう。サンドは二つもあったのに、気づいたらどちらも平らげてしまっていた。
締めにチーズケーキを頼み、一緒にコーヒーをおかわりして、昼下がりの落ち着いた時間をゆっくりと味わう。こんなに満足感のある昼食を取ったのは久しぶりな気がする。最近は冷凍食品かコンビニ弁当しか食べていなかった。
これもハゴロモのおかげだった。宇佐美さんに言われていた"できるだけいつもの一日"とは変わってしまったけれど、変化の中で私の情動も活き活きとしている気がする。それに、思った以上に自分の心はわがままらしい。
ずっとこのお店に来たいと思っていた自分の気持ちには申し訳ないことをしてしまったなと思う。同時に、先へと自由に進む、自分自身の心が少し羨ましくも感じた。その情動もまた自分自身なのに、不思議だ。ちょっとだけ悔しい。
そんなことを考えていたら、2時間近くもカフェでゆっくりと過ごしてしまった。程よい満腹感に満足し、店員に「ごちそうさまです。また来ます」と伝え、先ほど駆けてきた道を戻る。
ふと家の冷蔵庫の中身が空っぽだったことを思い出した。せっかくだ。今日はスーパーに寄って帰ろう。地域密着型の小さいスーパーだけど品揃えは良い。最近はコンビニしか行ってなかった。確か食パンも買ってなかった気がする。
心に追い付かれないように、と運動不足の足が少しだけ駆け足気味になる。もっと早く。足の疲れはすっかり取れていた。
家に着いた頃には日が傾き始めていた。テレビをつけ、配信サービスのチャンネルを選ぶ。ハゴロモを被った一日の最後は、あの好きだった映画をまた見ることに決めていた。
映画が始まり、ソファに腰掛け、足を丸める。ただ静かだった。悲劇的な始まりのミュージカル映画とはいえ、なぜだかいつもより寂しい、と言う感覚が私を包む。
昼間にかあれだけ活発だった私の情動、その動きが感じられないことに気づいた。背中あたりに感じていたあの心の反応が姿をぱっと消してしまったみたいに。
振り返っても、そこにはいるわけもない。映画を見るために落とした部屋の照明は薄暗く、小さなテーブルだけがある部屋はいっそう寂しく映る。暖房が効いてきたはずなのに温度を感じなかった。
映画を見ると、主人公の男が高らかに声を上げ、自分のこれからの人生の抱負を歌っている。感情を込めたその声が、また透明な私の中を素通りする。
言いようのない暗澹とした暗闇が胸を満たした。私は映画を見ていられず、目を瞑った。
その時、なぜだか心のずっと奥、遠くに頭の中が疼くような感覚が襲った。物理的な距離ではない。映画の声だけが耳に淡く響く。捉えた感覚へ意識を集中させた。ソファに居ながら、私はその情動の場所へと心を飛ばしていく。
意識だけが遠く、その情動を追いかけている。時間感覚はない。なんだかSF映画のワープみたいな感じだなと思っていると、ある記憶の断片が胸の中に生じた。映像としてではなく、心の触覚のような、感覚のスクリーンに記憶が輪郭を表した。
映画館にいる私、隣にいる友人。随分と集中して流れる映画に見入っている。初めてこの映画を見た時の記憶だ。その私に被さるように情動は私に寄り添っている。
「そういえばそうだった」
大学の時、映画の趣味が合った友人と映画館での再上映会に行った時だ。正直、そこまで期待していなかったけれど、予想外に面白く、そして心に迫るものを感じた。映画の後、そこまでハマらなかった友人に対して、映画の良かった所をひたすら語り散らかしてしまったを思い出す。今思うと恥ずかしい。でもこの時の感情が、この時に寄り添ってくれていたあの情動が、間違いなく私をここに連れて来た。
「ありがとう」
情動の輪郭をはっきり感じ、そこに心の芯を重ねるように、寄り添い、包みこむ。ほんのりと温かい。その温かさを感じながら、逆に情動がまた一つ私に被さり、重なっていく。それは一つの透明なヴェールのように、心を優しく覆っていく。
意識を振り返ると、その記憶の輪郭から細い一本の糸のような知覚が、ずっと今の私に繋がっている気がする。今の私が座っていたソファからここまで。この映画を見た時々の記憶、その情動が一本の線に連なり、伸びて並んでいるのを感じた。その一つ一つが糸のように揺らめいている。
大学を卒業する前、映画の中の美術デザインに感嘆した時。
仕事で失敗し、何か心がスカってすると思って、悲劇だったことを忘れて見てしまった時。
同じ脚本家の映画が気に入り、ディスクを引っ張り出して改めてこの映画の中に新たな発見を見つけた時。
その映画を通じて、心が動いた瞬間が幾千の星霜のように重なっている。一度にいろんな感情と情景が心の中に、ひいては私の胸の中で広がっていく。うまく形容のできない、情緒の密度に圧倒された。
心の体を走らせ、その一つ一つを大切に絡めて、私に重ねていく。感情の機微一つ一つ、私の忘れていた情動を編み物のように形作っていく。少しずつ形の違うその情動が、様々な色の糸のように知覚される。心のヴェールは幾重にも重なる。いつの間にか大きな着物のようになったそれを私は羽織り、寄り添っていく。
気づくと遠くまでいた私の心と情動たちは、糸の終端まで来ていた。今の私の姿が家のソファに座っている。周りの静けさが戻っていた。いつの間にか私をめぐる旅は終わりを迎えていた。
私はそっと今の自分の姿を後ろから眺めるように、心を伸ばす。情動のヴェールを着込んだ私はそのまま、今の私の姿にそっと近づき、後ろから映画の光景を一緒に眺めた。ヒロインが歌い上げるシーン。悲しみの中、自分の希望を歌にして叫んでいる。私はそっと自分を包み込むように首に手を回し、耳元で囁く。
「やっぱり好きだなこの映画」
私はソファの柔らかさを腰に感じながら、肩を強く抱き、ずっと余韻の温かさを噛み締めた。
朝、アラームが鳴る前に目が覚めた。
ベッドから出ると、冬の寒さが厳しく、パーカーを羽織ってリビングに向かった。いつもは時間になると自動で開くカーテンを自分で開けると、まだ6時だと言うのに高く昇った太陽の朝日が強く入り込んできた。
「気持ちいい」
せっかく早起きしたので、と思い朝食の準備をする。昨日スーパーで買った食パンをトースターにセットする。目玉焼きでも、と思って卵を冷蔵庫から出して立ち止まる。せっかくだ、今日は違うものを作ってみてもいいかもしれない。スクランブルエッグとか。
フライパンに垂らした卵をかき混ぜると、不格好だけどそれっぽいものができた。それを皿に盛り付け、テーブルに運ぶ。
「いただきます」
よく焼けた食パンにかぶりついた。次に挑戦してみたスクランブルエッグ。それをフォークで掬い、口に運ぶ。
「うん、美味しい」
作り方があっているかわからないけど、きっとこういう味だ。口の中に卵の素朴な甘さが広がる。
それをよく味わう。今日を噛み締める味がした。
<了>
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