私は、エベレスト街道で、100 kgの生活物資を山小屋に届けるシェルパを見たことがあり、ヒマラヤのシェルパは、大きな荷物を運搬する際、日本のように、ザックやL字形木枠ではなく、縦50 cm横70 cm高さ50 cmくらいの籠に、荷物を積み上げ、それをひもで固定し、籠の裏には、長さ2 m幅10 cmくらいの帯を固定、その帯を自身の額に当て、荷重を背中と肩と首と額で分散しますが、その方式では、首に大きな力が加わるため、普通の人にはできません

山小屋に食料や物資を運搬する職業のことを「強力(ごうりき)」(新田次郎さんの直木賞受賞作は「強力伝」)あるいは「歩荷(ぼっか)」と言い、職業として携わる場合もあれば、登山家が足腰の訓練のためばかりか生活費をえる手段として選択する場合もあり、60 kgの荷物を大きなザックに詰める方式もあれば、昔ながらのL字形(高さ2 m幅50 cm)の木枠に荷物を固定する方式もあり、アルプスの山小屋であれ、尾瀬の山小屋であれ、富士山頂の気象観測所であれ(観測所はいまはなし)、一回当たり1万円(世界的アルピニストの山野井泰史さんの著書の中の富士山の例であり、昔の記載のため、今はもう少し多いかもしれない)くらいであり、日帰りの大変な重労働です。
登山家は、普通の登山の場合、日帰りの近場の山であれば、ザックに、必要最少限の10 kgの登山必需品、1-2泊のテント泊であれば、ザックに20 kg、テント泊での数日の縦走であれば、ザックに30 kgを詰めますが、植村直己さんは、マッキンリーの雪山登山の際、単独行であったため、ひとりで、ザックに60 kgの登山必需品を詰め、ベースキャンプまで荷上げしましたが、きつい作業です。
新田さんの『強力伝』の主人公は、歴史上の人物であり、作品は、ノンフィクション的であり、いまでも、白馬岳(しろうまだけ)の山頂には、大きな円柱状のコンクリート構造物(90 kg)の上に円盤状のコンクリート構造物(90 kg)がありますが、主人公は、L字形の木枠にひとつ固定し、白馬尻(はくばしり)小屋から雪渓を登り、白馬岳山頂まで荷上げし、歴史的なモニュメントの設置に貢献しましたが、平地ならともかく、登りのきつい山となれば、きついを通り越し、奇蹟的なことです。
私は、エベレスト街道(note本欄バックナンバー記事・写真参照)で、100 kgの食料と生活物資を山小屋に届ける強力(ヒマラヤでは山岳関係に携わっている人を総称してシェルパと言う)を見たことがあり、まったく気づかなかったのですが、ガイドから説明があり、そのことを知りましたが、ヒマラヤのシェルパは、大きな荷物を運搬する際、日本のように、ザックやL字形木枠ではなく、縦50 cm横70 cm高さ50 cmくらいの籠に、荷物を積み上げ、それをひもで固定し、籠の底には、長さ2 m幅10 cmくらいの帯、それを額に当て、荷重を背中と肩と首と額で分散しますが、その方式では、首に大きな力が加わるため、普通の人にはできず、ヒマラヤで、子供の頃から、そのような文化の中で育ち、日常的にそのようなことをしていないと、首を鍛えられず、日本人には、考え及ばないことであり、ヒマラヤのアップダウンの大きな道を杖をつきながらゆっくり歩み、時々、専用に設置されたベンチのような場所で休憩していましたが、目的地まで10 km、現金収入のないヒマラヤでは、数少ない収入源、1 kg当り30円相当であり、100 kgで3000円の収入となります。
ヒマラヤでは、車が利用できないため、現実的には、金持ちは、ヤクによる物資運搬、その他の人たちは、斡旋業者に登録し、強力に携わざるをえません。
私は、登山の際、ザックに10-20 kgの登山必需品を詰めますが、平地ならともかく、山で、アップダウンのきついコースでは、疲労し、日常的に実施しているトレーニングでのスタンディングバーベルリフティングでは、これまで、リバースで最高70 kgまで挙げ(最終目標は80 kg)、100-300回のスクワットをしていますが、平地の固定された場所だからできることであり、登山のアップダウンのきついコースでは、70 kgも担げません。


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