われ思うゆえに猫である
昔はよく町に猫売りが来ていた。道端にござを広げて、電子基板やICチップだのを商っていたのがそうだ。興味を惹かれてそばに寄ってくる者があれば、猫売りはまず行李から四つ折りにした図面を出して見せてやる。そこには三色のランプを誇らしげに輝かせ、ダイヤルを上品に黒光りさせた猫が描かれていた。それは猫の設計図だった。
――どうです。一家に一台、かわいい猫ちゃんは。癒しになりますし、機械ですから死にません。一生の友達ですよ。
そんな言葉にほだされて、がま口を開く者が後を絶たないのである。が、そこであってはならないことが起きてしまう。猫一台組み立てるのには、店頭に並んでいる部品だけでは足りていなかったのだ。それがわかると店主は平謝りである。
――お詫びと言っては何ですが、この設計図を進呈します。今日は用意できている部品の分だけ買ってもらうとして、残りの部品を揃えて待っていますので、必ずまたここへ来てください。
こうして一見もしくは冷やかしのつもりでいた客は、格好のお得意様へと転身を遂げる。次に店に行った時も、その次に店に行った時も、待っているのは同じやり取りの繰り返しだ。始めに恭しく手渡されたはずの設計図は、いつしか店のカタログ以外の何物でもなくなっている。そのうえ載っている商品を全て買わされるまで、この逢瀬をやめるわけにはいかないのだ。何たる注文の多い露天商!
そのうち上客の頭の中にはこんな考えが浮かぶようになる。もし仮に、いつもの場所から猫売りがいなくなったら? (彼は作りかけのそれに目をやる)むき出しの基盤に命のない三つのランプ。魂のないのっぺらぼう、とてもまだ猫とは呼べないこいつを、自分はどうしたらいい?
(冷静になって)そもそも、これは本当に猫なのか? 何もかも嘘っぱちで、始めから担がれていたんじゃないのか? もしこれが本当に猫だとしたら、一体いつそれらしき自我に目覚めるのか? 回路が出来上がって、電流が流れた瞬間か? それとも自我とはやはりデジタルな反応とは違って、時間をかけて徐々に生じるものなのだろうか? いや、ひょっとしてもう目覚めているのか? ならそれをどうやって確かめたらいいんだ? 目に見える反応がないと確かめようがないんじゃないのか? もし明日いつもの場所に猫売りがいなかったら、自分は一体どうしたらいいんだ?
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3.
路地で車が燃えていた。車はゴミ収集車で、乗っていたのは猫だった。猫が暴走して車をあらぬかたへ走らせたので、市議会から派遣されたエージェントがこれを破壊したのである。そのエージェントは少し離れた建物の陰で、傷つき、倒れて、室外機から吹くぬるい風を浴びている。
周囲には大勢の警官や消防士がいて、各々の仕事に精を出していた。だが、誰も男のそばに寄って助け起こそうとはしない。むしろ蟻の行列が小石を避けるみたいに男を避けて通っていた。
彼らのことを薄情だと思うだろうか? けれど理由を聞けばきっと納得してもらえるはずだ。というのも、彼らは倒れている男の名前を知らないのだ。だから彼の存在には気づいているが、皆遠慮がちになってその前を通り過ぎてしまう。そして男の銅の色をした目は、レンズの砕けたゴーグル越しにじっと虚空を見つめているのだった。いやはや、何と声をかけていいものやら。
さて、今忙しく歩き回る消防士らの間を縫って、一人の女が彼の元へ歩いてきた。恰好は紺のパンツスーツで、髪型は清潔感のあるショートヘアだ。引き締まったシルエットではあるが、文字通りの火事場には似つかわしくない。
「ご苦労様です。ミスター・モノイ」
女は倒れている男の名前を呼んだ。当然予想できたことだ。男の名を知っているからこそ、彼女もここへ来る気になったのである。
「おい、誰かいないのか。救急車を呼んでくれ」
物井は一瞬女のほうを見た後、彼女を無視して怒鳴った。が、呼びかけに応じる者はいない。視界に映る空はけば立った灰色。それは左右の建物を垂れこめてくる煙の色だ。
「覚えていらっしゃいますか。イシクワの秘書を務めておりますヤマギです」
「ああ、先日はどうも。おーい、誰か」
「あなたは一度ならず二度までも町の危機を救った英雄です。前はご辞退なさいましたが、今回こそ祝賀パーティーに出席していただきたく」
「誰かいないのか! ゲホッ」みたび大声を出そうとした拍子に、物井は煙を吸って盛大にむせかえった。「ニャーン」打つ手なし。諦めて山城の方に顔を向ける。
「出ると言うまで俺のことを助けないつもりか?」
彼としては視線に最大限非難と嫌悪の念を込めているつもりだが、果たして煙で潤んだ目で期待通りの効果を挙げられているかどうか。これじゃまるで駄々をこねているみたいだ。
「いえ、そんなつもりは毛頭ございません。ところで日程ですが……」
「わかった。パーティーでも編み物教室でもなんでも出る。満足か? 満足したならとっとと救急車を呼んでくれ」
どうせ立って歩けるかも怪しい大怪我なのだ。約束は期日までに怪我が治ればの話だがな。彼は心の中で毒づいた。そうなると稼ぎに見合わないひどい負傷も、何だか小気味よく思えてくるではないか。
4.
それから3週間ののち、物井は街で一番広いホールの隅に所在なげに佇む自分の姿を見出した。何人かの町の名士たちのスピーチが終わって、今の時間は各自ご歓談といったところ。見栄えのする豪勢な料理の乗ったテーブルを小島とするなら、彼はさしずめいかだに乗って漂う漂流者だった。
実際のところ、怪我は大したことなかったのだ。それこそはジャック・オブ・オール・トレイズ(J.O.A.T.)社の真に驚嘆すべき仕事だった。つなぎの下に仕込んだプラスティック・プレートメイルが走行中の車から飛び降りた彼の身を守り、次いで無数の散弾に化けて全身の皮膚に突き刺さった。全身を杭打ちされる痛みに悶絶こそしたものの、この通り彼は無事だ。第二波でショック死しないだけの胆力があれば、中々に優秀な武装と言えよう。
「ご無沙汰しております」
隅のカーテンの前で身を縮める物井を目ざとく見つけだしたのは、J.O.A.T.の営業担当だった。いかにもアイアン・メイデンの執行人らしく、その顔には非人間的な笑みが浮かんでいる。
「当社の試作品は使っていただけておりますか」
「ええ、まあ」
「それは何よりです! つきましてはプレートメイルのメンテナンスをさせていただきたいのですが」
「ええ、それはもちろんです」
「では日取りを後日連絡いたします! よろしくお願いしますね」
「ニャーゴ」
J.O.A.T.の営業担当は波の間に間に去っていった。やたらと機嫌が良さそうだった。入れ替わりに男が一人やって来たが、こちらは同業者だ。名前を保倉と言った。物井より堅実な仕事ぶり。彼のように大怪我もしなければ、無責任に英雄に祭り上げられて決まりの悪い思いをすることもない。
「パイン。食べたか?」彼は皿に山盛りのフルーツを載せて持ち歩いていた。
「ハラが減ってないんだ」
「俺もだ」話しながら皿からパインをとって頬張る。「情報いるか?」
保倉は市議会から仕事を命じられる以外にも、独自の情報網を持っていた。その中で金にならなかったり、身の危険を感じる仕事は物井に回してやる。そういうことになっていた。この日も保倉は自分の手元にあるだけのヤバい案件を物井に教えると、肩の荷が降りたといった体で息を吐いた。
「俺のやった仕事で死ぬなよ」
「わかった」
話を終えた物井はホールを後にした。廊下ですれ違う人々との会釈もそこそこに、ガラス戸を開いて中庭へ出る。空では太陽が西の棟の陰へ、徐々に身を沈めつつある。足元は柔らかい芝だ。そして猫がいる。
猫は犬を彷彿とさせる姿をしていた。胴から尾から、耳の先までもがしなやかな丸みを帯びて空間を占めていた。全身を覆うふさふさとした毛の、中でも特に温かい部分が暖色で色分けして示されていた。近づくと「ナー」だとか気の抜けた声で鳴いた。申し分のないインテリジェント・デザインだった。かつて世界中のデザイナーたちが知恵を絞り、これから人類と共に永劫を歩んでいくこの生き物に相応しい姿を考え出したのだ。それが今物井の前を横切っていく。
「ミスター・モノイ」芝の上にいた山城が物井に声をかけた。傍らには車椅子にかけた老人がいて、膝の上に乗せた猫を撫でている。機械にして人。人にして猫。猫にして機械。老人は白濁した目でじっと物井を見据えていた。
「バックします。ご注意ください」膝に乗った猫が言った。物井はそれがこの間のゴミ収集車の運転手であることに気が付いた。7年間の奉仕の労をねぎらって、今彼はクリントという名前を賜っている。この先永きにわたって、クリントはここで暮らすことになろう。それならいい。文句はない。物井は軽く会釈をして、背中に視線を感じつつ猫の庭を出て行った。
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