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ギロチナイゼーション 1582 パート7

 背中に当たる固い板の感触があった。もはや後戻りはできなかった。ギヨタンは断頭台に横たえられ、目前に下がった刃の先を見つめている。刃は薄暗い空の色を映して、雨雲に似た灰色をしていた。

 ギヨタンは今日ここに至るまでに思いを馳せた。ある日突然民衆の一団に家へ押しかけられ、罪状すら聞かされずに監獄へ送られた。彼らはギヨタンに憤っているようでもなければ、ギヨタンをあざ笑うわけでもなく、ただそうすべきだからしている、といった風だった。それがギヨタンには不気味だった。自分に対する仕打ちに、何者かの動機や納得できるだけの意義があれば良かった。だが彼らはその顔に何の表情も浮かべず、淡々とギヨタンを引っ立てていった。

 後の記憶はまるで暗いトンネルの中を這い進むかのようだ。思い出せるのはただ監獄の闇と、近づいてくる看守の足音。日々入る誰かの処刑の知らせ。そして牢の中に響く何者かの声――断頭台で処刑されたものは死んではいない? 本当だろうか。

 ひときわ強い風が、彼を現実に引き戻した。突き立った二本の柱の間で、刃がギイギイと軋りを立てて揺れる。ギヨタンはおののき、手で頭を庇おうとしたが、腕を繋いだ鎖が耳障りな音を立てただけだった。「なぜ」ギヨタンは周囲に並び立った刑吏たちの、誰に言うともなく呟いた。「なぜ私がここにいるんだ?」

承前

 雨が降り始めた。広場の石畳を、背の高い影法師のようなガス灯を、雨粒がぶしつけに叩いていく。断頭台の考案者の処刑を見に集まった紳士や淑女のうち、雨具を用意していなかった幾人かが去って行った。建物の窓から断頭台の方に視線を落とす者もいた。

 刑吏たちは地面よりいくぶん高く設けられた台座の上にいて、同じくその上にある断頭台を取り囲んでいた。かつてギヨタンを逮捕した民衆と同じく、その顔にはいかなる表情も読み取ることができない。ただ今度は、ギヨタンは男たちの中に見知った顔を見出した。シャルル・アンリ・サンソンは死刑執行人だった。彼の父も、そのまた父も。ギヨタンが断頭台の使用を提唱する前からずっと。

「サンソン」ギヨタンは繋がれた首をわずかに反らして、処刑人の方を見た。「ついにここへいらっしゃいましたな」相手が答えた。反対に彼はギヨタンの方をちらとも見ようとしなかった。雨音に混じる声は低くかすれていた。アンリ・サンソンとはこんな声だったか。

「何かの間違いだ。審理を受けた覚えはないぞ」もはやどうあっても処刑は行われるだろう。だがギヨタンは疑問を口に出さずにはいられなかった。「存じ上げております……あなたが自分では罪を犯していないと考えていることは」「罪とは」「あなたにもこの景色が見られれば良かったのですが」

 サンソンはぐるりと首を巡らせた。「あなたの処刑を見ようと、たくさんの方がいらしています。あそこにいらっしゃるのは、織田市之丞です。あなたが二条城で首を刎ねました。その後ろに立っているのは、蓼沼泰重。あなたは魚津城で彼の首を刎ねました。信長は後ろの方にいます。ここにはあなたが首を刎ねた方が大勢参列していますよ」

「サンソン、おまえは何を言っているんだ?」「良くお思い出しになってください。ご存知のはずだ」「知らない」刑吏の一人が台座の端へ進み出た。彼はしわがれた声でギヨタンの処刑を宣言した。罪状が告げられることはなかった。「サンソン」ギヨタンはもう一度呼び掛けた。答えはなかった。

 ギヨタンは視線を正面に戻した。天の一点に向けて二本の柱が黒々と伸びている。雨粒はその間から落ちてくる。彼は冬だというのに、額にじわりと汗が浮かぶのを感じた。ギヨタンはこれまで自分が目にした斬首の場面を思い浮かべた。夫を殺した妻。食器を盗んだ男。いずれも処刑の前は恐怖に顔を歪めていた。だが、苦しまなかった。苦痛を感じる間もなく、一撃で胴と頭を分かたれたからだ。

 燃え盛る寺の中に閉じ籠った大名がいた。対岸で腹を切るべく船に乗って堀を渡る侍がいた。腹を切る定めだったのを哀れに思い、断頭台で首を刎ねてやった。自刃する者とそうでない者を見分けるのは簡単だった。というのも彼らはすでに一度自刃していたからだ。誰一人として苦しませはしなかった。

 柱の脇で仕掛けの動く音がした。掛け金が外れ、断頭刃が流れるように落ちてきた。ギヨタンはかっと目を見開いた。彼はその時、獄中に響いてきた声のことを考えていた。自分が侍たちの首を刎ねたように、あれも違う時代から来たのに違いなかった。だから声の主は、後にギヨタンの身に起きることを知っていたのだ。過去と未来を行き来できるという考えを、彼は自分でも驚くほどすんなりと受け止めることができた。

 刃の先がギヨタンの首に到達し、まず主要な血管を乱暴に引きちぎった。次に複雑に絡み合った神経線維のただ中に身をよじりながら侵入し、二度とつながらないように滅茶苦茶に破壊した。ギヨタンは宗易によって首に刀を撃ち込まれた時のことを思い出した。彼は宗易の首を落とそうとしたが、滝に追い込まれ、逆に自分が首から上を叩き落されてしまった。理不尽な死から救ってやるべき人間がまだ大勢いたが、そのせいで断念せざるを得なかった。

 鉄の塊は脊椎に達した。およそ人体を構成する中で最も強固な組織である骨を刃は難なくへし折り、幾千もの微細な破片に還元しながら先へと進んだ。ギヨタンは宗易に首を刎ねられたその前にも、自分が幾度となく首を刎ねられていたのに気がついた。ある時は今日とまったく同じように断頭台に乗せられて首を刎ねられ、またある時は咎人の首を刎ねに向かった先で、現地の人間に斬首された。彼は有史以来の全ての咎人を無意味な苦痛から救おうとしたが、その度に妨害され、また元の時代から出直す羽目になったのだった。

 不意に記憶がぼやけ、頭の中で像を結ばなくなった。頸動脈が寸断されたため脳に酸素が運ばれなくなり、記憶を司る海馬が不可逆的に死滅したのだ。刃は今ギヨタンの首の半ばまで来ている。首から下を失った痛みを感じるだけの余力は、もはやどの組織にも残っていない。ギヨタンは断頭台の働きに満足しながら、今やぬばたまの黒一色と化した過去から目を反らし、未来のことを考え始めた。

 ……革命は成った。未来永劫、死罪人たちが苦痛に苛まれることはあるまい。なぜならそれは18世紀が終わっても、19世紀、20世紀、そして次の千年紀(ミレニアム)に至るまで、処刑は断頭台によってなされるだろうから。罪人は斬首の栄誉と、痛みなく死ぬことができるという安堵の中で死んでいくのだ。

 では、過去すでに刑に処された罪人たちはどうか。火刑、磔、縛り首。そういった苦痛を伴う処刑法で、すでに殺されてしまった人たちは? ギヨタンは野蛮な刑の数々に怖気をふるった。が、大脳が急速に死滅しているところだったので、ぼんやりとしか恐怖を感じなかった。刃はすでにギヨタンの首を寸断し終え、寝台の上に突き立っている。

 刑死した人々を救う術はないのか。今からでも刑が執行される前に戻って、改めて断頭台による斬首を施す方法は? 彼にはもはや過去と未来の時制の区別がつかぬ。自分はその間を難なく行き来できると、束の間彼は信じた。ならば刑が執行される直前に、自分がその首を断頭台で刎ねてやろう。その考えを最後に、ギヨタンの思考は鈍っていく。何も見えぬ。何も聞こえぬ。雨の冷たさもない。

 その時、彼の脳裏に奇怪な場面が像を結んだ。民衆の蜂起を生き延び、老人と化した自分自身の姿が。病床に伏せって、死にかけている。死の淵で妄執の念ばかりが浮かび、あるはずのない世界を夢想する。……像はそれが浮かんだ時と同じく、唐突に途切れた。

 後には闇が残った。思考もない。ギヨタンの脳は完全に動きを止めた。ギヨタンは死んだ。夢想の世界は閉じた。それが永遠に続いた。

 全ての感覚が一挙に戻った。ギヨタンの周囲は処刑場でなく、光り輝く無辺の空間だった。彼は天地の感覚を失い、その只中に浮かんでいた。ギヨタンは高揚を覚えた。魂の奥底から無限に湧き上がる充足感に震えていた。

 つまりはこれで正解なのだ!  咎人たちを処刑する旅が、ギヨタンによる断頭台の発案を以て終わった。その後は必要ない。断頭台が咎人たちに痛みなき死をもたらす。そして旅を終えた彼は、今再び過去に戻って旅をやり直そうとしている。彼は未だ目的を果たしていない。今度こそただの一人も取り逃さないつもりだ。首を刎ねる。苦痛を与えずに。人々を救う。ギロチンによる死を。

――

 地べたに敷いた畳が玉砂利の白によく映えた。畳の上にはかつて信長の下で茶頭を務め、その後は秀吉に仕えた千利休が座している。彼は今、秀吉の命で腹を切るところだ。彼の屋敷である聚楽第の敷地内には、秀吉の配下の者が多数詰めかけている。彼らは利休の自刃を間近で見届けようとしていた。

 利休は目前に伏せた小刀に、物慣れた動作で手をかけた。ことここに至って、彼は潔く振る舞おうと決めていた。だが、やはり無念の思いを拭い去ることはできない。茶人である自分が、こうして腹を切ることになろうとは。その手は微かに震えていた。

 不意に彼の目前に、ブーツを履いた二本の足が伸びた。利休にはその足音が聞こえなかった。彼は顔を上げ、自分の前に佇む男を見た。驚きに目を見開いたが、次第に険しい顔つきになり、ギロチンの事をキッと睨んだ。

 他の侍たちは気づいていない。ただ利休だけが、軽蔑と畏怖を込めた目でギロチンをじっと見据えていた。

【おわり】

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