『東京少年D団』を読んで思ったこといくつか。キネマの時代、現代の巌窟王。
先日発売された小説作品『東京少年D団 明智小五郎の帰還』を読んだので感想やら気づいたことをとりとめもなく書いていこうと思います。今回は映画でなく小説。江戸川乱歩『怪人二十面相』のリメイクであり、スチームパンク及びもっとショッキングで形容しがたい何かとのマッシュアップです。ネタバレはなし。
・とにかく速い
マッシュアップを標榜する本作の筋は、『怪人二十面相』(1937)とおおむね似通っています。大富豪の羽柴家の元に怪盗二十面相からダイヤ強奪の予告状が届く展開は両作とも共通で、また時を同じくしてボルネオで起業した長男の壮一が帰国しようとしているところも序盤は同じ。しかしながらテンポや描写の点で大幅に改変が加わっています。
例えば出だしがそうで、『二十面相』が巷に流れる噂話というていで二十面相を読者にお目見えしてみせるのに対して、『D団』では数ページの漫画という形で、二十面相の人となりのみならず探偵明智小五郎や助手の小林少年の紹介まで済ませています。この辺はまさにお話のテンポを加速させる取り組みと言ってもいいでしょう。勢い余って「カンフー」や「カラテに次ぐカラテ」などの強い言葉が飛び出してきてしまってるのはご愛嬌というやつです。
続く羽柴家の場面ですが、『D団』ではここから本文が始まります。すでにダイヤを盗まれた上、今度は二十面相から仏像の引渡しを要求されている羽柴家に小林少年(13)がやって来ます。その知能指数は250。『二十面相』では行儀よく依頼されてから訪ねてきた小林少年ですが、今回は依頼を受ける前に事態を察知して乗り込んできました。速い。速すぎる。知能指数の押し売りでは?
さてこの場面、『D団』では時系列を入れ替えて本編開始と同時に挿入されていますが、『二十面相』ではきちんとダイヤを盗まれるくだりが始めに来ます。正確には始めに羽柴家の次男である壮二(11)が起き抜けに夢で見た二十面相の逃走経路に虎ばさみをしかけて、"賊がこいつに足くびをはさまれて、動けなくなったら、さぞゆかいだろうなあ"とほくそ笑む下りがあるので、案外スピード感では似たり寄ったりかもしれません。この場面の壮二と小林少年の知能指数には1万くらい開きがありそう。
他にも『D団』では『二十面相』と比べ全体的に文章のカットやセリフによる説明が図られている印象ですが、逆に目に見えて増えているのが1920年の帝都東京の描写です。スモッグが蔓延する中ガスマスクをつけて歩く人々や、うろつくコミュニストなどの終末的な描写はもちろん『D団』ならでは。ただ描かれているのは7番街があったり摩天楼があったりと明らかに30年代かそこらのニューヨークですが、そのへんは著者にアメリカ人がクレジットされてるのでしかたがない。というか寄せる気もない。
この後物語は小林少年、引いては明智小五郎と二十面相との知的インファイトともいうべき熾烈なトリック合戦へと向かっていくわけですが、瑣末な違いを語り続けるのも気が引けるのであらすじはここまで。もっと詳細なあらすじ/人物紹介は こちら で社会派ライターの逆噴射総一郎先生が書いておられますのでそちらを参考にどうぞ。怪文書と見紛うばかりの名文です。
・「ファック野郎の要求を飲むわけにはいかん」
テンポと世界観の他にもう一つ手を加えられているのが文体です。『二十面相』はいわゆるジュヴナイル小説でして、当時は小学校高学年から中学生くらいのキッズが読むことを念頭に置いて書かれていました。そのせいか読者を煙に巻くの楽しむかのような和やかな文体が特徴ですが、それに比べると『D団』の文体はタフで、現場で実際に戦う男たちの目線で書かれているために異様なテンションでたぎっています。ファックとか言うし。
こと印象的なのが文中に唐突に現れる太字の文章です。恐らくこれはまだ映画に音声がなかった頃に映像に合わせてナレーションを入れていた弁士の口調に習ったものと思われます。いわゆる無声映画の頃には劇場にいる弁士がナレーションをつけ、これまたその場にいるオーケストラが劇判を演奏していたそう。映画に音がつくのは1930年前後のことです。
この演出も案外脈絡のないものではないと思わせてくれるのが『怪人二十面相』の作者である江戸川乱歩の経歴です。というのも乱歩は作家を始める前に一度弁士を目指したことがあると随筆に書いています。実際作品には「です・ます」調の読者に語りかけるような文体のものが多く、時として
"人殺しの魅力を断念する気にはなれないのでした"(屋根裏の散歩者)
だとか、何とも言えずゆるふわな文章が出てくるのもそうした経緯が背景にあると思われます。
そして『二十面相』も「です・ます」調で書かれた作品の一つ。なので『D団』をやたら口の悪い弁士を起用した『二十面相』と捉えてみるのも面白いかもしれません。我ながら少し苦しい。
・乱歩とマッシュアップ
『東京少年D団』の作者はブラッドレー・ボンドとフィリップ・ニンジャ・モーゼズ、本兌有先生と杉ライカ先生の四人。彼らの代表作は異端のニンジャアクションノベル『ニンジャスレイヤー』ですが、この作品は過去の偉大な映画作品などに対するオマージュの横溢する作品でもあります。これは乱歩の作品にも言えることでして、せっかく乱歩の名前が出たので次はそんな話をしたいと思います。
江戸川乱歩は本邦における最初期のミステリ作家です。推理小説といえば海外からの翻訳モノだった時代に自作を書いて発表したほか、ミステリ全般について非常に熱心に研究しました。デビュー直後の随筆では"探偵趣味を含まぬ文章と言うものはあり得ないと云っても過言ではない"と豪語し、古事記にある天岩戸の逸話はシャーロック・ホームズの出てくるある短編に似ているだの、ヤマタノオロチを退治するのに酒を飲ませて酔わせたトリックは探偵趣味だの、独特の持論をちょっと怖いくらいに展開しています。
ちなみに日本で初めて推理小説を書いたのはジャーナリストの黒岩涙香(るいこう)。この人は『巌窟王』の翻訳で有名ですが、当時は横文字の名前がなんかよくわからない人が大勢いたので、主人公であるエドモン・ダンテスは團(だん)友太郎、許婚のメルセデスはお露というように名前が変えられています。跡形なし。こうしたローカライズをさらに進行させたのが翻案小説で、舞台を日本に置き換えるなどの処置がなされたそれは現代の目からするとほとんどマッシュアップと見ても差し支えないものばかり(『吸血鬼ドラキュラ』の舞台を江戸に移した『髑髏検校(けんぎょう)』とか)。涙香のフォロワーを自認する乱歩もよく翻案小説を書きました。
つまり過去の作品をテンポアップし、さらに新たな要素を加える試みは乱歩の時代から連綿と続けられてきたわけです。言ってみれば『怪人二十面相』もまたモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンものの要素を当時の児童向けに再構築したもの。この辺は『東京少年D団』の二十面相がジュー・ジツを用いる事から作者も意識しているはず。というのも原点であるルパンは柔術や空手の使い手なのです。地下の怪博士も出るしね。
いい加減まとめにかかりますと、『東京少年D団』は知ってか知らずか『怪人二十面相』が発表された当時の作品や江戸川乱歩の創作に対する姿勢とよく似たコンセプトを持つ作品だと言えるのではないでしょうか。恐らく続刊で存在感を増していくものと思われますが、特高や二十面相の深いキャラクター付け、少年探偵団による特に意味のないアクションシーンなど独自の要素も面白い。全体的に満足度が高くて良い本でした。知能指数バトルは笑う。
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