YNWA波動の自己紹介(3.11編)
こんにちは。YNWA波動です。
今日は自己紹介の続きで、YNWA波動の生い立ちを書いてみようと思います。
ん~、でも詳しく書くと長すぎるから悩む。なんせ40年分の生い立ちなんでね。
とりあえず今これを新幹線の中で書き始めています。落ち着きがないんで、ぼくは一つのところでじっとしていられないのです。
なぜ新幹線の中からなのかと言うと、ぼくは東日本大震災の2年後の2013年からほぼ毎週、福島第一原発の事故避難区域の小学校にスクールカウンセラーとして通っています。
これは本当に自慢です。何が自慢かと言えばこの小学校のほとんどの子どもたちの名前も覚えているし、家族構成も把握しているし、震災後どこに避難していつ戻ってきたかをだいたい把握しているのです。
えっへん💪
ちなみに、これ何かわかりますか?
これは線量計で今現在は撤去され少なくなりましたが、これが震災後何年も町のいたるところにあって、小学校の校庭にもずっと置いてありました。
除染作業のダンプカーは今日も子どもたちの通学路のすぐそばをビュンビュンと何台も通りすぎています。
コンビニでは除染作業員のおっちゃんがどうやら関西方面から来た人が多いらしく、店員のおばちゃんやバイトの若者に
「おぅ、トロトロしとらんとはよせいや」
とワガモノ顔でドヤっています。
このような過酷な環境の中で子どもたちは懸命に育っているのです。
そりゃかわいくて仕方ないのも分かってくれますよね😉
まだ震災は終わっていないし、被災地のコミュニティは壊れたまま、そして歪な繋がり方のまま「復興が進んでいる」と思われているのです。
まだ全然復興していないのに…
そして震災により、それ以上に原発事故により「傷ついたこころ」はまだまだ子どもたちのこころの成長にも影響しているように日々感じています。
なぜなら、子どもたちの話を聞いていくと必ず震災の時の話を、子どもたち自らが話しはじめるのです。
まだ原発事故は終わっていない
それが今回のnoteで一番伝えたいことでした。
あれ、生い立ちを書こうとしたのに🙏
2011/3/11からもうすぐ8年になろうとしています。
震災の、原発事故の傷はまだまだ癒えていません。