回復のためにすべきこと、気を付けること? アルコール依存症
みなさん こんにちは。
読んでくれてありがとうございます。
kiyopi です。
今回はアルコール依存症から回復するために、断酒継続のためにすべきこと・気を付けることについて、私が入院中に使用したテキストや資料を基に、全開の私見を交えて解説してみようと思います。
★断酒すること
断酒会では『断酒』、AAでは『アルコールを必要としない生活』と言っていますが、やることは全く変わらず断酒です。
これを当面の目的として治療プログラムも組まれています。
テキストでは、『飲まないだけでも大変であるのに、飲酒を止めない事には回復もない。断酒さえ実行できれば治療の大半は終わったと言っても過言ではない』と説明されています。
しかし私の考えは違います。
『飲酒に結び付けてしまう思考の癖をしっかり認識する、その思考を呼び起こすストレスの解消、それによって飲酒欲求そのものを無くしていく事で自然と断酒はついてくる』
これが私の断酒です。
断酒を目的に回復を目指すのか、飲酒欲求を湧かせない自分になることを目的に回復を目指すのか、その考え方の違いです。
★自助グループに参加する
AAや断酒会に出席している人のほうが、断酒率が高いと説明されています。
自助グループの良さは、批判や意見されることのない場で自分の事を話せることにあります。
回復の過程において、人の苦しみに共感し共感されることで、自分の苦しみが軽減され、断酒の気持ちが高まる時期は必ず訪れます。
しかしながら、誰でも自分の事実や後悔を語りはしますが、気持ち(心の部分)、苦悩や反省を語ったり、どのように断酒と向かい合っているのか、努力であったり工夫であったりを語る人は、まずいません。
私はそこに不満を感じています。
お酒はアルコール依存症者なら誰でも好きで当たり前です。
飲酒運転なんてアルコール依存症者なら誰でも経験あります。
あんなことしました、こんなこともしました・・・誰でも同じような経験はしています。
行動に対する共感の機会はあっても、苦しみ・思いの心の部分に共感する機会はほとんどありません。
あいつに怒れた、こんな事されて腹立った、こんなことがあって今でも後悔している・・・など恨みや憎しみが多くて、断酒にも自分にも前向きに向き合っていこうとする話がないのです。
その人の回復の段階にもよりますが、新規参加者が増えない理由、すぐに辞めてしまう理由も、何とかして回復したい気持ちや、苦しみをなんとかしたい思いですがって来ているにもかかわらず、そこに寄り添えていないことにあると思うのです。
アドバイスは禁止、みんな平等、仲間を大切、正直私はその理念が嫌いです。
真に仲間とともに回復を目指すのであれば、もっと考え方も、話も、会自体も、もっと建設的であってほしいのです。
今の状態は、寂しがり屋が集まって慰め合っているだけの仲間ごっこのように感じてしまう私がいます。
私のこの note を読んでくださる方なら、いずれ気付く時が来ると思いますが、共感ははっきり言って慰めにしかなりません。
寂しさを埋めたい、仲間が欲しい、友達が欲しいとお思いなら別ですが、自分の回復を目指すだけなら、自助グループへの参加はストレスの吐き出しに利用できれば、それだけで十分です。
★酒を飲まないと宣言する
飲み友に対しての宣言が勧められてます。
飲まない人と周りに意識させることは、私も賛成です。
しかしながら、これを家族に大っぴらに宣言してしまう人がいます。
家族は止めさせたいのですから、宣言したところで信用はしてくれません。
10年経とうが20年経とうが、相手が信用しようと思わない限り信用されることはないので、自分のためになりません。
もし飲んでしまう事があったら、家族の失望も怒りも以前とは比べようもないほど膨れ上がることになりますから、絶対にやめて下さい。
しかし、必ず自分にはして下さい。
自分の意識、思考には叩き込むことが出来ます。
人生で、自分の思考・価値観が出来上がってきたように、自分の意識に刷り込むことが出来るのです。
毎日「私はお酒は飲みません」を3回言う、というのを一日に何回かやっていただきたいと思います。
1か月、2か月と経っていくとお酒に対する気持ちが確実に変わります。
嘘のような本当の話です。
★小さな成功を積み重ねる
これはホメ療法といいます。
子供の時から褒められる事のない家庭に育ち、自信も希望もない人に勧められている治療法です。
ですが、アルコール依存症者は自分の責任でアルコール依存症になっています。(過去noteで説明しています)
断酒できた日数を数えて「私えらい」とやっている人もいますが、本当にそう思えるのならいいのですが、思えないのであれば、『自分以外は誰もほめてくれない』といった虚しさというストレスを抱えることになります。
私はやってはいけないと考えています。
★危ない場所に近づかない
依然通っていた飲み屋、酒売り場、飲み会に行かないというものです。
自分を試すために飲み屋街や酒売り場を歩いてみるのは、そんなことする時点で失敗であるとか、飲み会に行くと、飲み物にお酒を混ぜられる危険性もあると説明されています。
よく考えてみて下さい。
それによって失敗を起こすのは何故であるのか?ということを。
私の以前のnoteをお読みいただいた方であればお分かりいただけると思いますが、簡単に言えば自分の中にあるお酒への執着です。
お酒に意識のいく思考、不安・恐怖といったストレス、それによって出てきた飲酒欲求です。
飲み屋街を歩こうが、酒売り場を歩こうが、自分を理解し飲酒欲求が起こらない自分になっていれば、単なる飲み屋街、単なる酒売り場でしかないのです。
『お酒に執着があるから、行ってみたらどうなるのか気になる』にもかかわらず、そこに気付かずに過信で失敗を招く全くもっておバカな行為なのです。
それから、飲み会でお酒を混ぜられても、酔うほどの濃さなら必ず気付けます。
一杯、二杯で一気に逆戻りすこともありません。
そこで泥沼に戻るのは、執着が抜けていない自分であるだけなのです。
★お腹を空かせない
空腹時に飲酒欲求は強まるから、お腹を空かせないように食事をしっかり摂る、飲みたくなったら何か食べる、と説明されています。
ばかばかしい話です。
お酒から食べ物に依存症先を変えろと言っているのです。
太ります。
あらゆる成人病の危険性を爆上げします。
カロリーを気にすれば・・・とかの問題でもありません。
この考えはとてつもなく危険です。
飲酒欲求が問題なのだから、そこに向き合って改善すればいいのです。
★腹を立てない、疲れすぎない
怒れたら飲酒、疲れたらご褒美に飲酒といった過去の習慣で飲酒欲求が湧きやすい事、断酒直後は体も軽くなり動きやすくなるから、動きすぎて疲れやすくなる、そのため飲酒欲求が湧きやすくなるため注意しよう、ということが説明されている。
「そうだよな」と納得してしまいがちですが、「注意しましょう」はいいのですが何が問題なのか?を考えてみれば、『思考の改善、ストレスの解消で飲酒欲求に対処すればいい』という事に行き着くのです。
子供向けの標語ではないのですから、「怒れたら・疲れたら注意しよう」はナンセンスです。
★抗酒剤、通院
最初は抗酒剤を服用した方が精神的に楽にやめ続けられる、と説明されていますが、お酒で弱らせてきた肝臓・腎臓への負担があります。
飲んでしまうと急性アルコール中毒と同じような症状も出るという恐怖もあります。
私は今まで言ってきたように、問題としている事が違いますので、抗酒剤は必要ないものと思っています。
断酒後の精神的なトラブルや家庭問題などの処理のために定期的な通院が勧められています。
ですが、通院しても医師の仕事は
①飲酒欲求はあるか?
②夜は寝られるか?
③体調はどうか?
④精神状態はどうか?
⑤抗酒剤はまだ欲しいか?
これで終わります。
精神的な悩みの対処はありません。
カウンセリングを医師はしません。
医師もケースワーカーも基本的には、給付金や支援、支援施設や障害者手帳の事も、こちらが情報を仕入れ、協力を求めない限りは話にも出してこなければ、相談に乗ってもくれません。
私は、支援などの相談事がなければ、基本的に通院は必要ないと考えています。
★さいごに
今回はこんな感じです。
すべきこと、気を付けることと言っても、それ自体の問題は何なのかを考えると、やはり『思考の修正、ストレスの解消、飲酒欲求を起こさせない』ここに行き着きます。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
感謝します。 kiyopi