自傷行為の影響力【SNS】
罪を考えた時に必ず、
誰かを傷つける自分を想像して
吐き気がする。
私の場合は、とにかく
他者を傷つけたくない思考が脳内を
圧倒的に占めていて
【だったら自分を傷つけよう】
という部分に直接リンクしてしまう。
だけど、悲しいかな
現実は
あれだけ苦しんで、泣いてる姿を
全て見せても
誰も、その場しのぎで
いつの間にか過ぎた話として扱われたり
見向きすらしない傍観者もいるのに
その事案(自傷行為)がおこると
どこかで、傷つく人もいて
悲しむ人もいた。
だから、自傷行為は
SOSの典型的な例になってるのだと思う。
なのに、それを
・注目されたいだけ
・優しい言葉を聞きたいだけ
・かまってちゃん
・いい迷惑
だと言う人間もいる。
(実際、私は自傷行為のせいで
友人にトラウマを与えてしまった。)
この経験もあり
私は誰かが見てる前ではしないし
匿名でSNSには載せたりしない。
それは、『暴力』に近い行為だと
思ったから。
痛みや苦しみの詳細は
決して誰とも共有できないから。
でも、そういう人は
たしかに存在している。
(私のSNSの中にも存在していたりする。)
ただ、自傷行為を見ても
決していい気分にはならない。
痛々しいとは思うし、同情もする。
自分の事のように胸が苦しくなる。
病人の私でさえ、モヤモヤというか
やりきれない気持ちがどこかにあるのに
どうして耐性のない人にまで
影響を与えようとするのかは
正直かわからない。
だけど、やめろ…とも言えない。
抑圧は更なるストレスを与えるのも
知ってるから。
『ほっといて』からの罵声から始まり
『見捨てられた』と自己嫌悪に入るループが
なんとなくわかっているから。
結局、どうしてあげる事もできない
私もその瞬間から『傍観者』になる。
行為に至るまでの気持ちは多少なり理解できても
それを拡散する気持ちはやはり
理解できない。
ただ、それも現代のSOSなのだと思ったりもする。
私だって、こう言っておきながら
SNSの場で傷を晒した事もあった。
(まだTwitterとかがない時代)
死にたい死にたい言っていた
時期も確かにあった。
ネガティブな文章だって、今でも
投稿する事だってある。
ただ、言葉は選ぶ様になった。
死にたいという直接的な言葉は避けてるし
公開もごく一部に設定している。
その子もきっと
SOSの発信のひとつであり
もしかしたら、若気の至りなのかもしれないし
いつの日か気付くのかもしれない。
体験したからこそ、わかる。
コントロールできない衝動、暴走。
もし、当てはまる人がいたら
もう一度考えてほしい。
その画像や動画で
名前も顔も知らない人間を巻き込むメリットがはたしてあるのか
自分の意識を越えた所で
誰かを傷つけたり、不快な気持ちに
させるかもしれない事
多感な時期の子だっている。
耐性のない人だっている。
多少なりショックや影響を与えるかもしれないリスクを考えなきゃならない。
私は 痛みなら言葉さえ選べば
晒せばいいと思う。
でも傷を晒そうとは思わない。
だってこの傷は決して
【見せ物】なんかじゃない。
必死に闘って負った傷で
容易く見せるべき物じゃないと思うんだ。
そして、その傷を
注目の手段にはしてはいけないと思う。
それは、きっと一時的で
すぐに違う情報の渦に消えていくから。
必ずしも思うような反応が返ってくるだけじゃないから。
誹謗中傷だったり、面白がられたり、
拡散されたり、馬鹿にされたり
逆の反応もある。
SNSでも繋がる人間の数が減れば減るほど
間接的でも、必要とされない人間だと
思ってしまう。
きっと、悲しい結果にしかならない。
傍観者は、絶対に『救い』にはならない。
SNSは簡単で便利である分、
リスキーな物である事を
知らないといけない。
状態が悪いなら一時的に
絶つ選択肢もある。
他の人の楽しい投稿を見たら
孤立感だってあるし
嫉妬だってしてしまう。
『自分だけが苦しい』とどうしても
思ってしまう。
仕方ない。
自分が客観視できないんだから。
友人に言われた言葉で
「大概、SNSは楽しい事しか投稿しないだけだよ。」
実際はそんなもんだったりする。
SNSの友達の数
イイネの数=自分の価値ではない。
自分がSNSの情報だけに
惑わされそうな時は
そっと、スマホを置いて
外からの情報を遮断する。
己の抱える
『行き場のない怒りや悲しみ』
『承認欲求』は
時として負のエネルギー源に変わりやすい。
一時的な感情に惑わされないで。
もちろん、私にも当てはまる事。
暴力は悲しみを生み、
悲しみは連鎖を生む。
私たちは、負のエネルギーの形を変えて
コントロールしなければならない。
手探りで。
失敗もする。まず最初は上手くいかない。
上手くいっても
いつかまた、振り出しに戻される。
でも、やるしかないし
やり続けなきゃならない。
偏見や誤解の中で、闘う為に。
傷つけ合う為ではなく認め合う為に。
『あなたは価値のある人間だから、
自分を安売りなんかしちゃダメ。』
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