火起こしから大学生たちはなにを学ぶか
学校などフォーマルなカリキュラム外の学びは「社会教育」と呼ばれ、人間が社会で生きていく上で必要な様々なことが含まれます。私が担当している「社会教育課題研究(自然共生地域支援)」という授業では、自然資源を使ってどんな学びを促進しうるか、また、実際に地域の自然資源をベースとした暮らしや自然資源保全のために活動する方々に寄り添いながら、学びを成立させるための条件や課題などを明らかにしていきます。
授業を始めるにあたり、「皆さんと自然との関わりはありますか?」と学生たちに尋ねると、おおむね小中学校の自然体験活動で止まっていることがわかりました。中には「キャンプをしてます」といった学生もいますが、ホームセンターで売られている炭や着火剤を使って肉や魚を焼く程度のことです。それでは、身の回りにある自然資源を使って「生きる」というのはどういうことなのかを実感することができません。そこで、大学構内にある資源を使って火起こしをしてもらうことにしました。
火起こしをする前に、構内にある樹種を調べ、それらの樹種の利用可能性を調べてマップにしました。火起こしに使えそうな樹種として、マツやスギに目をつける学生は多かったです。一方、今回のマッピングで面白かったのは、ある学生たちが「もし火がつかなかったらつくように祈る樹」を見つけていたことです。「この構内にあるものだけで生きることができるか?」と問いかけた結果、火起こしに必要な実用性のある樹種を調べるだけでなく、「祈る」といった文化を想起させていたことから、生きることが衣食住だけでないことを物語っていたように思います。
さて火起こしの始まり
チャッカマンでは火をつけられるが、マッチは触ったことがない、という学生も多い中で、今年はファイヤースターターを新たに導入しました。4班ありましたが、火花を散らして火を起こすという方法でも、みな比較的すぐに着火できたのですが、苦戦していた班がありました。彼らは、「祈る樹」を見つけてきていた班です。
火花は散るものの、なかなか火がつかない。手で覆ったり火種におく植物を変えてみたり、工夫を重ねても火がつかない。じきに、周囲の班が火がついた枝を持ってきたり、他の班の応援が始まりました。なぜ火が火花から大きな火にならないか。それは、組み上げた材の種類や置き方が問題なのは明らかです。ここで、わたしが手を出してもよかったのですが、もう少し様子をみることにしました。
しばらくして彼らは、火がついた班の知識や技術を教えてもらいながら、ようやく火をつけることができました。その火を大事そうに囲み、授業が終わり近くになってもなかなか消そうとはしませんでした。
火起こしから学ぶこと
最後に、その班のメンバーは、「みんなに助けられて火がついた」と話していました(結局、火がつくように祈りにいくことはしていませんでしたが)。授業では、火をつけることができる身近な自然資源について知ってほしい、と考えていましたが、それと合わせて人々と助け合うことの大切さも実感してくれたようです。自然資源そのものの知識と、人とのつながりのどちらもを大事にするうちの学部の特徴が現れてたように思います。
来週も火起こしは続きます。
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