LGBT理解増進法が施行された今、キリスト者は何をすればよいか?

 私は、SNSでも自分の説教でも、今回のLGBT理解増進法には、強い危機感を抱いていることを表明しています。しかし、キリスト者の国会議員が、賛成に回ったということを(単に心配したり、疑問に思っているというのではなく)鬼の首を取ったかのように糾弾している人々が、キリスト者らにいます。心がどんよりしました。

もうすでに「津波」は来た
「津波」が来てからでは、防波堤は遅すぎる
「高台」に逃げる方法を

 まず私の考えを述べます。このLGBTの流れは、まさに「津波」だと思っています。米国を中心にありますが、今や世界中で猛威を振るっている、キリスト教を上げるまでもなく、人間文明で古今東西、前提としてある「男女の区別」を否定する、破壊的な思想だと思っています。

 私の衝撃は、保守政党だと思っていた自民党から、しかもおそらくは首相自身の強い意向から、議員立法が出てきたことです。自公与党から出ていますから、数の面で抗うことができません。自民党の中での議論は紛糾しました。国会で、議決の時に途中退席をした議員がわずか3名いましたが、それぞれ厳しい処分を受けています。これは、とてつもない圧がかかっていて、慎重な多くの自民党議員も、並々ならぬものを感じていたでしょう。

 しかし、その中で起立した人ことを、責められないと私は思っています。これから理由を説明します。

 自民党の大半が、例えば、あの時に退席したとします。そうすると、立憲などが作成した、反差別の法案が対抗として出されていて、そちらが通過してしまう状況でした。だから起立しなければ、この理解増進法にどんなに不備があっても、はるかに深刻な内容になっているものが通過してしまうのです。だから、途中退席した方々に良心があったと思いますが、そうでない人たちを一様に責めることは、全く出来ないと感じています。

 その中で、質疑応答で、この法律が悪用されることのないように、最後に政府からの回答を引き出した方が何人かいます。その一人が有村治子議員です。彼女が下した、苦渋の決断は賞賛に値します。懸念事項を一つ一つ引き出していきました。

 そして、重要参考人として、自民党からは滝本太郎弁護士が、維新の会からは、女性スペースの会の森奈津子女史が証人に立ちました。この方々こそ、当事者のほうから、この法案に真っ向から立ち向かってきた方々です。その方々も、当然、法案がいいとは決して思っていません。多くの懸念を抱いています。けれども、通過してしまうという現実をふまえて、なんとかして、法案が、当事者のニーズを度外視した活動家のいいように使われないように努力をしました。

 ちなみに、上の記事に出てくる、滝本弁護士に質問している、自民党の山谷えり子議員は、長いこと米国で起こっているLGBTに関わる問題について、日本も二の足を踏まないように警鐘を鳴らしてきた方であり、彼女はキリスト者です。彼女も、国会では起立した、つまり賛成した一人です。
  

 こうした人々は、形の上では法案の賛成に回ったわけですが、妥協したということでしょうか?私は、今、廃案を掲げている人は「数か月遅い」と思います。施行されている法律を、覆すには相当の時間とエネルギーが必要です。本来なら、津波が来ないように、何年もかけて準備しなければいけないのに、津波が来てからでは遅いからです。

 今は、津波から一目散に高台に逃げるような段階です。先の有村議員は、その思いを次のように言っています。「本年4月、法案提出を急がせる党内議論において《テコでも動かない大きな流れ》を直感的・確信的に察知した」

 そこでできるのは、質疑応答で公文書に政府の見解を残すことです。そして、維新と国民は元の自公案に危機感を抱き、次の三つの項目を入れた案を出しました。すると、自公は、維新と国民の修正案をそのまま受け入れて、それで、最も懸念して事項を加えることが出来ました。

1)国民すべてが安心して生活できるように留意
2)学校における教育は、保護者の同意が必要
3)「民間団体の活動を支援」を削除

 1)においては、信教の自由が危ぶまれる中では理解増進にならないと訴えることができます。2)においては、キリスト者の家庭が、学校でのLGBT授業を受けないようにさせることができる余地があります。3)においては、過激な活動家による団体に公金が流れないよう断ち切っています。

 理解増進法には数多くの懸念が残りますが、なんとか牽引して、直接の被害が及ばないような高台を作ったと言えます。しかし、これらの事項に基づいて積極的に行動に移さなければ、これら高台にも、その津波が押し寄せてしまうでしょう。

 アメリカでも、このようなことが起こりました。同性婚を認める結婚尊重法です。結婚防衛法(男女のみが結婚を定める法)を覆すために、昨年、通過しました。

 その時に、共和党議員も賛成に回っています。それは、なぜか?信教の自由の項目が、入れ込まれているからです。

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https://www.congress.gov/bill/117th-congress/house-bill/8404/text
6.信教の自由と良心に影響を与えない。

(a)一般的に-本法または本法による改正のいかなる内容も、合衆国憲法または連邦法の下で、個人または団体が利用できる宗教的自由または良心の保護を弱めたり、無効にしたりするものと解釈されてはならない。

(b)物品またはサービス-憲法修正第1条に従い、教会、モスク、シナゴーグ、寺院、超教派の聖職、超教派およびエキュメニカル団体、宣教団体、信仰に基づく社会団体、宗教教育機関、および宗教の研究、実践、または向上を主目的とする非営利団体を含む非営利宗教団体、およびそのような団体の職員は、結婚の挙行または祝賀のためのサービス、便宜、便宜、施設、物品、または特権を提供することを要求されない。この款に基づき、このようなサービス、便宜、便宜、施設、物品、または特典の提供を拒否しても、民事上の請求または訴因を生じさせることはない。
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 廃案にできないなら、法律に穴をあけたり、または他の法律で、効力を打ち消すということは可能なのです。

 エステル記にそれが書かれています。ユダヤ人を抹殺する法令が発布されてしまいました。ハマンを殺し、その家族を殺すことは出来ましたが、その法令は、ペルシアは王でさえなくすことはできません。それで、モルデカイとエステルが考えたのは、「ユダヤ人を憎み、攻撃してくるものを殺すことができる。」という法令です。それが発布されて、実際の虐殺の日、ユダヤ人に危害を加える者はいなかった、ということです。

義憤に駆られて、
仲間を攻撃していないか

 こうやって、いろんな戦い方がありあす。それぞれ与えられている立場で、最大限の力を行使できるようにしていくことなのだと思います。大事なのは、違う方法を取って戦っている人々を責めないこと。向かっている方向は一つなのです。

 そもそも、代表者である議員を責めるなら、私たちキリスト者が、教会全体が、これまで、どれだけ聖書的男女観、結婚観に立っているのか?ということでしょう。それで反対していたか?ということでしょう。全面的な神の民のバックアップがなければ、代表者である議員も動きようがないのです。どんなことがあっても廃案にしたいなら、一大うねりとなるようなキリスト教会での運動が前もってあって、それで議員が代表して国会で意見表明できるような態勢がなければいけません。そして、そんな態勢はできていませんでした。自分たちができていないのに、自分たちが反省するのではなく、議員だけを責めるのは、本末転倒です。

 今回、議員を責めて行くやり方に私が賛同できないのは、自分の教会にいるほとんどの人々は、決して理想など語ることのできない現実の社会でもみくちゃにされていて、それでもその中で、自分に任された最善のことを、絶対解が出ないままで、悩みながら求めて行っているのではないでしょうか?「キリスト教の価値観が反映されないなら、政治家なんかやめてしまえばよいのだ!」とするのは、「どうせこの業界はキリスト教の価値観など期待できないから、その会社、やめてしまえばよいのだ。」というぐらい暴論だと思います。

 政治に対して、こつこつと地道に、決して派手でなくとも、キリスト者としての証しを立てることが、みこころではないでしょうか?そして本当に大事な局面に入った時は、ダニエルの友人のように、「政治生命が絶たれても(友人たちは文字通りの命ですが)、かまいません。」という姿勢を明らかにするのではないでしょうか?

小さなことに忠実に


 自分を振り返りますと、教会の一牧者です。自分ができることを考えます。第一に毎週の説教です。男女の区別と秩序は聖書全体に明らかにされていることです。それをそのまま説教します。時がどんなに悪くても、たとえこのことで捕まることがあろうと構わないと覚悟すれば、恐れることなく語ることができますし、すでにそうしています。

 それから教会における教育でしょう。法律と教会としての受け入れは、全く別です。主は、恵みによって、同性愛者、異性愛者関係なく、ご自分の下に引き寄せたいと願われています。そしてご自分の聖にあずからせたいとも願っておられます。

 そして政治への参加は、議員たちのために祈り、共に考えることだと思います。

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